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60歳前後の方が、
「席を譲った分だけ、これから先、席を譲られる、というので できるだけ席を譲るようにしているのですよ」 とおっしゃっていたことがあります。 ご自身が、もうしばらく経てば譲られる立場になるのに、 偉いことだなぁと思ったのを覚えています。 「お年寄りに席を譲る」というのは、車内のマナーの定番ですよね。 若い人よりもお年寄りのほうが疲れやすいことを思いやれば、 体力のある若い者は、席を譲るべきでしょう。 けれど、「座った席は、オレのもの~!」と、 思いやる習慣のない人もいます。 また、ちょっとくたびれていたり、 座って作業をしたいなと思っていると、 席を譲るのに、ちょっと計算(笑)をしてしまうことがあります。 それで、「こちらの席をどうぞ」と言う代わりに、 「あ、あっちの人のほうが私より若いし、近いから、 あの人が立ってくれないかな」なんて思ってしまいますf^^;。 「席を譲る」というのは、誰かに親切をするという とてもいいことです。 けれど、その「動機」をチェックしてみると、 けっこう面白いのですね。 動機は、大まかに分けて、三つあります。 <動機・その1>当然だからやる マナーだから、常識。自然に体がそう動く人です。 <動機・その2>好きだからやる 席を譲って、喜ばれると嬉しいからやる、 「喜び」が動機の人です。 <動機・その3>いいことを起こしたいからやる 席を譲るといったいいことをすると、 いいことが還ってくるのを期待してやる人です。 この場合、心の奥に、 「今、いいことが『ない』から、いいことを起こすようにしないと」 という、「怖れ」の動機があります。 この<その3>というのが曲者なんですね(笑)。 私もかつて引っかかった「落とし穴」なのですが、 要するに「怖れ」が動機で、 見返りを求めるという「下心」があるのですf^^;。 そうすると、 「やらないと、いいことが起こらないから!」と ムキになってやるようになったり、 ほんとうはくたびれているのにイヤイヤやるようになったり することがあります。 すると、「私はいいことをしているのに、あの人はしていない!」と 責める気持ちがわくこともあるんですね。 「当然」とか「楽しいから」という理由でやっている人は、 人のことはあまり気になりません。 けれど、「怖れ」という、 「比較」をすることで生まれる動機からだと、 ついつい、人が気になってしまうのです。 なので、私が「一番、コレがいいんじゃないかな」と思うのは、 最初は「こうすると、こういういいことが起こるから」という 下心から始めても、 それをやることによって、喜ばれる喜びを実感して、 「楽しいからやる」となり、 さらに、「当然だからやる」となること。 そうすると、「喜び」が喜びを引き寄せますし、 いいことが起こるのが「当然」になってくるでしょう。 また、「席を譲らない」という選択肢を選ぶこともできます。 すごく疲れていたら、 「譲らないといいことが起こらないから」と 怖れによって無理に譲るよりは、 「スミマセン!いいことが起こらなくても、今は休ませてもらいます!」 と考えてもいいと思うのです。 そのご老人は、めちゃくちゃお元気かもしれないし^^、 他の方に「席を譲って徳を積む」という栄誉を 譲れるかもしれないのです。 それでその後、「この前は譲れなかったから、今度は譲るぞ!」と、 楽しいから、当然だから、譲るようになるほうが、 「いい気分」のことを引き寄せやすくなるでしょう。 責めたくなったら、「比較」をしたり「怖れ」から、 自分は何かをしているのかもしれません。 そういうときは、無理をせず、 「自分の心が一番ラクになること」 を選んで、ムリをしないのも大切だと思います!^^ いよいよ、明後日!★9月10日に「虹と天使のお祭り」で、「スピリアルなプリンセスになる!」講演! 詳細・申込 ★10月15日に「自分を大好きになって願いを叶える1dayセミナー」を開催! 詳細・申込 「そうかも~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月08日 09時06分51秒
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