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日本の石鹸作りの歴史







日本での石けんの誕生

日本に石鹸が登場したのは室町時代の末期です。
ポルトガル人(またはスペイン人)が石鹸を持ち込まれたと言われていますが、倭寇のほうが先だったのではないか、という説もあります。
ポルトガルの宣教師ウルガンが織田信長に石鹸と望遠鏡を献上したのが最初です。あまりに汚れがよく落ちる石鹸に信長は驚いたようで、宣教師から献上された黒人の肌を何度も洗わせ、黒い肌が本物かどうかを調べました。
また、徳川家康の遺品のなかにあった壺の中には、軟質のカリ石鹸が約15kgも保存されていました。
「石鹸」が文献にでてくるのは、石田三成が神谷宗湛にあてた、石鹸を二つもらった礼状です。石鹸が非常に貴重であったことが分かります。
江戸時代の儒学者、林羅山は、もと「しゃぼん」と呼ばれていた石鹸を、「志也保牟」と書いていて、江戸の中期には「沙盆」という当て字が用いられました。
日本工業規格(JIS)の石鹸の表示は、1951年の「石ケン」から1956年の「セッケン」、1969年は「せっけん」、1984年に「石けん」と変えてきました。新聞用語では「せっけん」が使用されています。「石鹸」は、昔から使用されてきた漢字ですが、これは明治時代に英語のSoapを翻訳するときに中国の李時珍の『本草綱目』(1590年)の中から「石鹸」(石のように固めたアルカリ性の灰汁)を誤解して借用してしまったものです。これは植物を水に浸し、焼いた灰と粉を混ぜて固めたもので、「鹸」は地中の塩分を意味します。「鹸」は、当用漢字からは除外されています。

『古事記』の中に「みそぎ」をして身体を清潔に保つ話があります。日本人の祖先も洗うことでからだをキレイにしていたことが分かります。アルカリ性の物質が含まれている天然の界面活性剤であるものが天然の石鹸として使用されていました。その例として、粘土や木灰、海藻灰、米ぬか、米のとぎ汁、卵白、うどんのゆで汁、動物の糞尿などがあります。

1825年に医師宇田川榛斉・榕庵らが薬用として石鹸を自家製造したのが最初の、日本で現在の石鹸に近いものができたきっかけです。1873年には工場で本格的に生産されるようになりました。横浜の提磯右衛門が洗濯石鹸の製造に成功しました。

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