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光と風と緑。自然は身も心も癒してくれます。自宅では居間にベッドを置いています。居間から見える庭には一年中何かがあります。彼女のおかげです。冬のフランボワーズは枯れ木のようですが、春のある日、その先端に黄緑の芽を出します。その姿は肉体の目覚めの暗示です。
頸髄を損傷してからストレスの発散が難しくなりました。 大声を出すとか、物にあたるとか、自分の肉体をいじめるとか。できないことはありませんが、他人に迷惑をかけずにとか、自分で後始末をとか考えるととてもできません。だから日頃から心を乱さないようにします。 日常の些細な不満はすぐに忘れることができるようになりました。 (もちろん、不備なものは改善するという向上心は失わずに) それでも、年に3回心が乱れます。 受傷した7月。 あの日あそこに行くことさえなければと思います。あの頃あんないやなことがなければとか、そもそもこの土地にいなければとか、無駄なことを考えてしまいます。無駄なことを何度も何度も考えてしまいます。 誕生日の11月。 何もしなくても、期待通りの回復が見られなくても、歳だけは確実にとります。自分が死に近づくことは怖いことでもいやなことでもありません。年老いた両親に十分な親孝行もすることなく、大きな心配をかけたままで年を重ねる自分がいやになります。 3月は新生活が始まる季節です。 不安と期待を感じながら人は新天地に向かいます。近くにいた人が遠くに行ってしまいます。遠方の友の噂を耳にすることもあります。私だけが取り残されます。中には私より長くとどまっている人もいます。しかし彼らにはいつの日にか変わるという希望があります。私がとどまっている理由は私に希望を待つことを許しません。 前だけを、少し上向きの前だけを見るようにしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.01 09:12:03
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