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救急病院にいるときから、職場復帰が前提でした。T理事も「帰ってくることを信じている」と言って下さいました。リハ病院の退院が近づいた頃、私への対応の仕方について職場から問われました。不全ながらも全身麻痺を受け入れるのですから当然です。人的支援を最小限にするために福祉機器の購入をお願いしました。
必要な支援についてメモを作りました。OT訓練中にスプリングバランサーの助けを借りて作ったドラフトをプリントアウトして、見舞いに来てくれた妻に手渡し、修正を口頭でお願いしました。表を作成できることに驚かれたけど、片手で出来ることは問題ないの。その代わり、shiftキーが押せなくて、()は8と9で代用していたけど。フロッピーも渡したけどMACで入力し直したらしい。手っ取り早かったのでしょうか。 あれから5年間、職場で医師や看護士のお世話にはなっていません。
職場からの初メールはリハ病院のPTに送りました。 教えて頂いたご自宅住所に後日贈り物をしたら丁寧に返送されました。堅いお方です。逆にこちらが珍しいものを頂いたりしています。
復職後、書類作成の初仕事を金曜日にT君に頼まれました。 急いでいるとはいえ月曜日にくれとは。たしかに私にしか分からないし、8ヶ月不在で迷惑かけたし、彼も「メールをいただければ後はやります」と言ってくれたけど。 週末に自宅でやったことは、ノートパソコン内のメールのチェック。メルマガもスパムメールも無縁の時代に千数百メール届いていました。全部仕事関係。私のけがのことを知らない方々は私の不義理をなじっていることだろうとも考えましたが、「もう済んでしまったこと」と、不思議と心は乱れませんでした。 メールのチェックにはカーソル移動と左クリックが必要。ベッドで長座位をとり、膝上のパソコンを左手でチョップ。小指の付け根を使っていました。 頭の中を整理して文書を作成。右手の装具に金属バーをはさんで。このころはまだ()をひらがな入力する知恵が無くて苦労していました。 もちろん、期限までにメール(2003/03/30 13:40)しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.03 12:27:15
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