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漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

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漫画文化研究所(山… 漫画文化研究所さん
2008.04.20
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カテゴリ:紫煙のゆらぎ
        







         延々と延々といつまでもサインをする手塚治虫先生





      

          紫煙のゆらぎ・世界まんが博  手塚治虫葬送








北星晃平。本名宮本晃平氏は長く連絡が途絶えていたが、今年の1月没された。

時効だから、僕も命が危ないから漫画家協会関西支部の裏面史として、
どうしても残すべきと今書き始めている。





さあ、世界まんが博は始まった。

北星さんは

「玉地君が勝手にスケジュールと人選を進めちゃった」
と、まだなんぢゃらかんじゃん言うとるが、なんとか動き出してまあ良しとせんかい。

手塚治虫・馬場のぼる・いがらしゆみこ・ヒサクニヒコ・牧野和子・矢野功・矢野徳・山根赤鬼・山根あおおに・関根義人・わたなべまさこ・古川タク・片山雅博・上田トシコ・つのだじろう・やなせたかし・前川じろう・中国から陶勤女史・木川かゑる・北星晃平その他大勢順不同と、田中晋一さんと支部長を代わる代わりに、北星さんを理事から外せと言って、翌日理事名簿から外された彼を激怒させた、古参の曲者大坂ときをさんたちが力をあわせたのかな?


ともかく一件落着したのだが、地中から噴出せんとする一触即発の危機との背中合わせの中、何度もの会合と調整にとことんヤになった。

玉地さん慣れですよ。と涼しげに言う、僕と同県人の矢野徳大画伯が似顔絵を描いている。


「おんちゃん頼むき あしの似顔絵描いとうせ」
「勘弁してや おまさんを描くがだけは」
「こんなチャンスは二度とないき たのむ」

天才筆の迷い。緊張していけないモノになった。

だから、僕は親しくしていただいた手塚治虫先生に、色紙サインをおねだり出来なかった。


手塚治虫先生はある日突然関西漫画市役所に飛び込んできた。


「玉地さんサイン会やりましょう。色紙を出してください」


当日の朝手塚プロダクションの松谷社長から電話があった。

「手塚が居ないんです。もし大阪に現れたらすぐ連絡を、必ずください」

松谷さん御免。今日はゆるして。

延々と続くファンの列。いつまでたっても3時間以上経過しても終わらない。

「せんせ このへんでちょっと休憩と言ってトンズラしませんか」


「何言ってるの玉地さん。だってまだあんなに並んでるぢゃないですか」


ゆうに百人はいるだろう。色紙の50枚入りがもうふた箱空になっている。
こんな時の手塚先生を制御できる人は奥様の悦子さんぐらいしか居ない。

半ば諦めた僕に、どうです玉地さんいいでしょうと、
満面の笑みとジャングル大帝の色紙を見せびらかす若い支部会員。

僕も変装して並びたい気持ちだがそうは行かない。

やっと一段落ついたのはほぼ5時間は経過した頃。

無理やりに近い形でまんが博の事務室の裏へ手塚先生を引っ張り込んだ。ぁあ~ぁあ。

「今日は本当にありがとう御座いました」


「いゃ いいんだよ玉地さん」

手塚先生は誰に対しても「さん」と呼びかける。凄いことだ。

手塚先生と、色紙を見せびらかした若い鳩谷泰文氏と僕とで
なにやらきな臭い話に進行して行くのを、少しヤバイかな、
と思いつつ会話していた。突然!


「玉地さん。あなた支部長やんなさいよ」


鳩谷氏も僕も鳩が砲丸にぶち当たったようにビックリした。

「今度の事は僕も気がかりで、いい機会だから話そうと思ってね、
 関西にみんなが楽しくやっていけるようなものを作ってくれないだろうか」

ドン引きのほぼ失神状態であった。


「玉地さんなら出来るから」

「いや」僕には……」

突然の大罵声に、漫画ぢゃ無いけど飛び上がった。




             「なんでですかぁっ!!!」




しかし、突然のことに当惑の雪隠詰めが僕の口から言い逃れとして出た。

「僕 漫画描きませんし」



「玉地さん 描けるんだから描きなさい」


静かな口調だった。

ノゥウエイアウトであった。覚悟を決め僕は大先生に申し上げた。


「解かりました。でも3年は待ってください。支部を良くする事につとめます
 支部でイベントがあるときは手伝ってくれますか」


「もちろん。約束する。」


手塚先生は僕が漫画だけで生活しない不沈戦艦だ、という事を漫画家協会の
中で唯一知っていたから、良い機会だからと言って松谷社長を欺き、
わざわざ大阪までやってきて、
5時間近くもサイン会をすると称して僕を怒鳴ったのかもしれないと思う。


そして持ったことも無い連載を1頁間結ではあるが、
この博覧会に大阪から参加してくれた萬年社の、
現在僕の最も信頼している私設マネージャー、その後協会に入会した、
漫画をかか、いやかけ、まあ代理店の逸材山田博一氏を頼んで
「たる」という月刊誌にはじめて描いたものの一部が、
「紫煙のゆらぎ・まんがを描こう 実技編」。

「なんででしょ」つまり「なんでですかぁっ!!!」

部落問題と天皇制について描いたときだけは止めてと誓ったのだが、
「なんででしょ」が掲載されてしまった。

手塚先生は僕に


「みんなが正しいという事こそ疑ってかかりなさい
 あなたは毒の牙を磨いて、ユーモァというオブラートで包んで、
 玉地さんにしか描けない絵で表現しなさい」

と言ってくれた。

しかし、今もその牙が外目にもありありとギラつくのだが。

生前手塚治虫先生をお呼びしてのイベントの約束はとうとう実現しませんでした。

そして、その約束から2年後、巨星落つ。の報が流れ始め、
関西支部は醜態の限りを極めのたうち始めるのです。

つづく





日本漫画家協会会員・参与    

                                玉地 俊雄

これは本当にあった怖いお話です。
嘘は一行も書いていません、証人はどらも亡くなっています。

   くだん  例のとか其のとかの意。

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最終更新日  2008.09.24 18:16:13



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