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【台湾沖航空戦】
昭和19年10月12日から16日まで、日本の基地航空部隊とアメリカ航空部隊が台湾東方海上で行った航空戦。大本営は10月19日に総合戦果を発表。それは敗色濃い日本を歓喜に沸かせたほど稀に見る大戦果だった。 しかし既に16日の時点で大本営海軍部ではこの戦果が幻であると気づいていた。この情報は陸軍部に伝えられなかったため、陸軍は戦果を信じてレイテ決戦を挑み、大敗北を喫した。 ■昭和19年10月19日大本営発表 「我部隊ハ十月十二日以降連日連夜台湾及ルソン東方海面の敵機動部隊ヲ猛攻シ其ノ過半ノ兵力ヲ壊滅シテ之ヲ潰走セシメタリ。 一、我方ノ収メタル戦果総合次ノ如シ。轟撃沈、航空母艦十一隻、戦艦二隻、巡洋艦三隻、巡洋艦若シクハ駆逐艦一隻、撃破、航空母艦八隻、戦艦二隻、巡洋艦四隻、巡洋艦若シクハ駆逐艦一隻、艦種不詳十三隻、其ノ他火焔火柱ヲ認メタルモノ十二ヲ下ラズ。撃墜、百十二機(基地ニ於ケル撃墜ヲ含マズ)。 二、我方ノ損害、飛行機未帰還三百十二機。 (注)本戦闘ヲ台湾沖航空戦ト呼称ス」 なぜこんな事になってしまったのか? 理由の一つに薄暮、あるいは夜間の攻撃により米機動部隊を正しく確認できなかった事があげられる。米機動部隊の動きが止まる薄暮、夜間に攻撃を集中した為、正しく戦果を確認できなかったのである。それと搭乗員の経験不足がある。この時期になると充分な訓練を受けないままに戦闘に参加する搭乗員が増え、まともに米機動部隊を確認する事が困難になっていた。結果的にそれが、間違った戦果報告に繋がった事は言うまでもない。 問題はこの戦果を信じこんでしまった方である。空母19隻を撃沈撃破と発表したが、それは太平洋に存在する米空母よりも多い数なのである。しかもマリアナ沖海戦での戦果を見ても分かる通り、日本航空機は米艦隊に歯が立たない。にも関わらずこの戦果を信じ込んでしまった。これは負けが込み、大本営や日本海軍の首脳部が現実を逃避して願望に走ってしまった事に他ならない。こんな事があればいいなあ、とか、あんな事になればいいなあ、といった願望がこの誰が見ても間違いだと分かる戦果を信じ込んでしまったのかもしれない。 米軍機動部隊指揮官のハルゼー提督はこの日本側の発表を知っていて「日本海軍に撃沈させられた米空母は、すぐさま引き上げられ修理完了した後、フィリピン方面に向けて南下中」という電報をわざと日本に察知されるよう打電したという。 大本営発表を信じ、戦果誤認の事実を海軍から知らされなかった陸軍は、ルソン島での迎撃方針をレイテ島での決戦に変更。レイテ島への移動中、米機動部隊艦載機に撃破される。また、フィリピンでの決戦を決意し、台湾から増援を派遣。玉突きで、台湾には沖縄から精鋭とされる第9師団が転属させられた。そして沖縄への補充が間に合わず結果的に沖縄戦での戦力不足の原因ともなった。なお、この大本営発表の戦果を信じた投資家たちのために、一時アメリカの株価が大暴落するという事態も発生した。 どんなときでもついて良い嘘と悪い嘘がある。海軍が「この発表は嘘でした」と言っていればもしかしたらフィリピンで40万人もの日本軍将兵は死ななくてもよかったかもしれない。 現代の会社組織の情報も同じで、うまくいかなくなると営業成績について「台湾沖航空戦」のような戦果を報告したくなるものである。しかしながら現実は残酷である。取り返しがつかなくなってその虚構が白日の下に晒されることになる。最近、うちの会社の会議資料でも「台湾沖航空戦」資料をときどき見かけるようになってきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月15日 00時29分03秒
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