カテゴリ:陸道をゆく
【横浜は広い!】
(横浜市) 私の住む横浜市は広い。横浜に住む以前は、横浜市という地名からイメージする特徴は、やはり海に近いということであった。歴史を見れば、横浜は元神奈川のとなりにあった嘴のように突き出した海岸にあった(砂嘴<さし>)であり、単なる貧しい漁村だった「横浜村」が原型である。特に終戦後は東京に近い給与所得者のベッドタウンとして発展し、合併を繰り返し、今や市の形態としては大阪市を抜いて日本最大の人口を抱えて早や400万にならんとしている。ところが自分が住んでいる横浜市は周りは山や丘ばかりで海とはほど遠い。直線距離では約25キロ、道路を進むと約30キロはあるであろうか? 自分の出身地である大分市周辺でいうと大分市から由布院の手前の湯平(ゆのひら)あたりまでの距離に等しい。 (武蔵国) 今の横浜市、川崎市は以外にも旧分国でいえば「相模国」ではなく全て「武蔵国」である。自分の住む地域は旧分国名でいえば「武蔵国都筑郡(ごおり)」に相当するだろう。武蔵国の国府(首都)は広く知られているが、今の府中市のあたりだったそうで台風や地震による津波の災害の恐ろしさを知っていた当時の人々がこの30キロ~40キロも海から離れた地域に武蔵の国府を定めたのは当然かもしれない。 なんのことはない。私の住む地域は海の見える「横浜村」からはるか遠い「武蔵国都筑郡」なのである。その昔、太田道灌が後土御門天皇に拝謁したとき武蔵国のことを聞かれて歌った「つゆおかぬ・・・」にならって横浜のことを知らぬ西日本の方に横浜のことを表現するのに次のような歌がふさわしいかと思う。 「うみ見えぬ 方もありけり 瀬戸内の海より 広き 横浜市」 そんな横浜市の広さと海までの距離を実感するため、自転車にて鶴見川を下ってみることにした。加工から24キロ地点をスタートとした。天気は快晴、気温もちょうどよくサイクリングにはうってつけであった。<つづく> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年01月03日 15時51分07秒
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