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私の中学時代からの友人にC君がいます。
私が若いときに迷走していた頃、いよいよとなって彼に助けられた恩があります。キャロル・キングの曲で”You’ve Got A Friend”というのがありますが、あの歌詞の You just call out my name And you know wherever I am I'll come running to see you again は正にこんな感じかなと後年思いました。 彼は高校卒業の頃、諸般の事情(私のような勝手気ままな事情では無い)で大学へ行くことをあきらめました。高卒後働いていたのですが、元々能力のある人で、特に電気工学系の知識や好奇心に関してはもう私にとって雲の上のような存在でした。みるみる頭角を現し一時期某大企業の米国本社勤務まで勤めましたが、その後いろいろあって今は奇遇にも医療関係の仕事で大活躍しています。その彼が仕事上の必要もあり3年前からネットによる通信制大学を受講しているのですが、先日単位認定試験を受けて合格したようです。 去年彼の家に遊びに行ったとき「いやー、この年になってなんやけど、ちょっとまた勉強しようかと思ってな。若いとき大学に行こうと思ったときには行けんかったけど、今はその気になれば勉強するチャンスはいくらでもある。ほんまにええ時代やな。」と話しておりました。とは言うものの、いい年こいて決して楽では無い1日の仕事が終わってからネットで勉強。時にはスクーリングに足を運ぶ必要もあり、ちょっとやそっとの気持ちでは続かないだろうにと思います。 しかし彼はちっともつらそうな顔をしない、というかむしろその時その時を楽しんでるかのように見えます。「楽しそうにしながら実は堪え忍んでいる」のでは無くて、実際彼は心から楽しんでいるのだと思います。仕事においても実にいろいろな工夫をして常に何かいいことをやろうとしています。彼から仕事上のヒントをもらうことも多いです 私は昔から「努力」という言葉に一種違和感を覚えるのですが、その理由は「努力」という言葉の持つ悲愴感だと思います。「努力している」という言葉には、楽しんでいるのではなく自分を抑えてイヤなことをしているような印象がありますよね。そういう意味で彼に対して「努力している」というのはむしろ失礼にあたるような気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.05 00:58:49
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