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May 18, 2011
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なかなか踏ん切りが付かない、というか、気持ちの整理がつかなくて
書けずにいましたがそろそろ書いておかないと、と思い書くことに
します。

友人は陸前高田市に住んでいます。

とても風光明媚なところでした。
美しい松林に何処までも続く砂浜。
駐車場からすぐ海水浴場に行けるので海と言ったら高田松原って
くらい有名なところでした。
ですが、海のすぐそばを国道が通っていて、山側までは平地が
5kmくらいでしょうか?津波が来たら街全体が飲み込まれるのは
分かっていたと思います。

そんな、街が一瞬にして壊滅してしまったところです。
正直友人もひょっとしたら波にのまれてしまったんじゃないかと
思ったくらいです。

ネットが復旧してからすぐに検索して安否確認したところ、実家に
3人の子供たちと避難していることが分かり、とりあえず一安心
していましたが、他にも色々と沿岸に知り合いがいたため、新聞の
安否確認情報だけは毎日チェックしていました。

すると、友人のご主人の名前(ちょっと特徴のある漢字だった)が
載っていて、年齢も合っていたので、これはひょっとしたら?と
友人に確認をとらなければと思いあらゆる手段を使ってコンタクト
をとろうとがんばりましたがなかなかとれず、これは直接彼女の
避難先に行ってみるのが早いと思い、GWを利用して行くことに
しました。

あらゆる手段の一つに、彼女の実家のあった場所(以前15年程
前かな?)に一度だけ行ったことがあり、地図から住所の一部だけ
分かったので往復はがきを簡単な住所だけで送ってみました。
余白に「ここまでしか分かりません。なんとか届けて下さい」と
一言だけ添えて。

それでもなかなか返信ハガキがこなかったので、半ばあきらめて
いたのですが、実際行ってみてこなかった理由が分かりました。


うろ覚えの住所、そして壊滅的になった街の道路、自分が今どこに
いるのか分からない状態で探すのは困難でした。
しょうがないので、安否確認出来る情報センターへ行き手がかりを
求めて中に入って行きました。
これといった手がかりはなかったのですが、ゼ○リ○の名前入りの
詳細地図が置いてあり、彼女の旧姓を覚えていたこともあり、
なんとか1軒それらしい家があったのでそこに行ってみることに
しました。

その前にトイレに行ってからと思い、センターのトイレを探したら
外にあるとのことで行ってみたら、仮設トイレは手作りで、深い
穴を掘って板を渡しただけのものでした。
おそらく、水も通っていないし、下水道もダメだし、よくある個別
の仮設トイレは処理が追いつかないのでこういうトイレを作るしか
なかったんだろうなと思いました。


車のナビを使いながら、だいたいこの辺りかな?と行ってみると、
庭に子供たちが出ていて、両親そっくりの顔ですぐに彼女の実家
だと分かりました。
車の中から、「○○さんのお家はここですか?」と聞くとそうだ
というので、車から降りて行くと友人に会うことが出来ました。
GW当時、水道が通っていないし下水道もダメだったことから
1軒1軒仮設トイレが置いてありました。
現在は水道が通ったと新聞報道がありましたが、どうでしょう?

私が行ったことにびっくりしていて、よくここが分かったね~と
言うので1度来たことあったから記憶を頼りに来たよというと
驚いていました。
とりあえず、生きていて良かったというと、悲しげに笑ったので
なんとも切なく、涙があふれてきました。

これを書いていても思い出して泣けてきます。
やっぱりまだ辛いです。

おみやげにと、子供たちにジュース類を2ケースと使い捨ての
マスクを10箱、お菓子などを渡し、何か必要なものがあったら
言ってね、と言ったのですがもうガソリンも手に入るし、買い物
にも出かけられるから大丈夫とのことでした。

ご主人は?とおそるおそる尋ねてみると、やはり津波に巻き込ま
れてしまったとのこと。
市役所職員だった彼は、地震のマニュアルがあって、津波警報が
出た時には持ち場があってそこで避難誘導しなければならな
かったそうです。もちろん、あの日、真っ先に役所を飛び出して
持ち場に行き、そのまま津波に巻き込まれたんだろうとの事で
でも、見つかって火葬や葬儀ができただけでもよかったと淡々と
話す彼女を見ていることが辛かったです。
私の送ったはがきは届いていたけれど、こういうこともあって
なかなか書けずにいたとのこと。
それはいいから、気にしないでと言いながらまた涙。


お焼香だけでもさせてほしいと話すと、すべてご主人の実家が
取り仕切ってしまったので、納骨も先祖代々のお墓にしたし、
位牌もなにも向こうの実家にあるから、こっちには何もないとの
こと。そこでも泣けました。

すっかり何もかにも流され、ご主人の物がない状態っていうのは
どうなんだろう。せめて位牌だけでもどうにかならなかったのか
という思いがあったのですが、田舎の本家長男というのは特別な
もので、やはりムリだったようです。

とりあえず、香典と上のお嬢さんの高校入学祝いとその他諸々と
いうことで現金で渡してきました。
一番使いやすいと思ったし、役に立つのはやはり現金かなあと
思ったので、赤十字に寄付するんだったら知り合いに渡した方が
いいと思ったので、今回は大船渡の先生と彼女に直接渡しました。

返す当てもないからいらないと断られたのですが、無理矢理
返さなくていいからと置いて来たのですが、これで少しでも役に
立つことができたらいいのですが、逆に迷惑に思われたらどう
しようかとちょっと不安になりました。

被災者の気持ちはやはり被災者にしかわからないんですよね。

私たちも何週間か不便な思いをしたけど、それはホントの被災
ではなかった。あの現状を見たら、被災地とは被災者とはああ
いうところなんだと分かります。


最後まで彼女は泣かなかった。
私が泣くのは彼女に悪いと思ったけど、止まらなかった。
これからも何とか支援して行きたいと思って帰ってきました。


写真はなかなか撮る気にならなかったのですが、2枚だけ
撮って来たので載せます。

高田1

国道から山側を見たところ。
平地にはまだ海水があり、まったく潮が引く気配はなかったです。
地盤が下がったのか、次にもし津波がくるとしたら高台まで
くるかもしれないから、今いる実家にもひょっとしたら津波が
くるかも、と言っていましたが、本当にそんな感じです。



高田2

右手に見えるのが有名な?キャピタルホテル1000。
そして国道。
国道まで海が来ています。
以前は国道から海まで1kmないくらいでした。
美しい松林も砂浜もなにもありません。ただただ海が広がって
いるだけです。
高潮になったら国道も波がくることでしょう。


あとは本当に辛くて写真撮れませんでした。
未だ、高田市を思うと涙が出てきます。
これほどまでとは思いませんでした。
同じ職場で働く方の実家も高田市で未だお母さんが見つかって
いません。
DNA鑑定のため、検体を置いて来たそうです。


今回の震災は人生に本当にこんなことがあるのか?と考え
させられるものでした。
そして、生かされてるとも思いました。
生かされてる意味、この先の人生、本当に考えても考えても
答えが出ません。
ただ、一度きりの人生、いつ何が起こるか分からないので、
子供たちには本当にやりたいこと、好きなことをさせて
あげたいと思いました。


被災地での話はこれでおしまいです。
また次回、お見舞いに行ったら報告します。





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Last updated  May 19, 2011 12:45:40 AM
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