カテゴリ:認識の歩み
日本の統一的支配者の座を獲得した義満は、 その晩年、上皇になることに意を注ぎます。 その証左は、夫人の日野康子を 後小松天皇の准母としたことで明白です。 夫人が准母なら、夫の義満は 自動的に天皇の〝准父″となるわけで、 その地位は事実上、上皇と変わりません。 だが義満はこれだけで満足せず、 最愛の二男義嗣(よしつぐ)を天皇の位につけ、 名実ともに備わった上皇の座につこうとしました。 義満は、天皇の北山第行幸の折、 まだ元服前の義嗣を廷臣中の最上座に据えて 親王並みに遇するなど、 義嗣の尊貴化につとめました。 その義嗣は、北山第行幸の翌月二十五日、 内裏の清涼殿(せいりよう)において、 天皇の面前で元服の式をあげました。 この儀式はすべて親王に准じられ、 事態がこのまま進行すれば、 義嗣が即位する可能性はたかまります。 しかし、野望達成を目前にひかえながら、 当の義満が流行病にかかり、 あっけなく急死してしまいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月10日 05時00分10秒
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