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捨ててこそ青春だ
12章 ジョージ・ハリソンとヴェーダ哲学 ジョージ・ハリソンは特に「ヴェーダ」への造詣がふかい。彼の生涯をえがいた伝記映画「Living in the Material World」のなかでも多くの興味深い話が語られている。 まず、ジョージは20代で望むものすべてが手にはいった。ほしいものはなんでも買えた。銀行にはいくら預金があるかもわからない。とにかくたくさんのお金がはいってきた。ひととおり好きなものを買ったあと、お城をひとつ買って住んだ。しかししあわせになれない。おもしろくない。きっと庭の木の位置がわるい、池の場所がわるいからだとおもった。庭師をよんで好きなように場所をかえた。城のてっぺんから庭をながめた。しかししあわせな気分にはならない。 教会にいって、いろいろきいた。どうやったらしあわせになれるんだろう。死んだらどうなるんだろう。牧師はいった。死んだあとのことなど死んでみないとわかりません。ジョージはもう教会にはいかなくなった。 ジョージはインド音楽に惹かれはじめた。特にシタールの音色は彼の心に独特のインスピレーションをあたえた。彼は世界中で有名なビートルズのメンバーである。望むものすべてがかなえられた。シタール界の巨匠ラビ・シャンカール氏からレッスンが受けられることになった。インドとの出会い、「ヴェーダ」文化との出あいがはじまった。「ヴェーダ」のなかには彼がもとめているものの答えがすべてあった。自分が愛していちばんやりたい仕事は手にはいった。こころの空虚さをうめる「ヴェーダ」の知識もさずかった。瞑想のなかにあふれ出る悦びを感じた。やがてジョージはISKCONの創設者スワミ・プラブパーダと出会い、啓発を受け、自分の所有物を寄付した。彼の寄付でサンスクリット語でかかれている『シュリーマド・バーガヴァタム』の英語訳が進んだ。この絶対真理がかかれている「ヴェーダ」文献を西洋社会に紹介する。ジョージは喜んでそれを応援した。 ジョージが寄付したイギリスのISKCON寺院 映画のなかでジョージがダライ・ラマと会見したときの話が妻のオリリビアによって紹介されている。ダライ・ラマが日々どのように過ごしているかジョージにきいたそうである。ジョージは毎日瞑想し、神のみ名を唱えていると答えたそうだ。それでダライ・ラマはその効果はあらわれていますかと尋ねたという。ジョージは効果は死ぬとき確認されますと答えたとオリビアは説明した。ジョージはヴェーダ教典の『バガヴァッド・ギーター』を引用したのである。 「死の時期がきて、肉体を離れる時に、私だけを想っている者は誰でも、まっすぐに私の郷に至る。このことに疑いの余地はない」【バガヴァッド・ギーター第8章5節】 「ヴェーダ」をしると、どう生きるかとどう死ぬかは同義語であることがわかる。死にさいして自分はなにものでこれからどこにいくのかという認識が不十分なら、その人は生と死のくりかえしつまり輪廻転生を余儀なくされる。 「自分が死と隣り合わせにあることを忘れずにおもうこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時に、とても大きな手がかりとなってくれた。なぜなら外部からの期待、自分のプライド、屈辱や挫折に対する恐怖など、死を前にすればすべて消えてしまうからだ。そして後に残されるのは本当に大切なことだけだ。自分もいつかは死ぬんだということを忘れずにいることは、自分が何かを失ってしまうんじゃないかという思考の罠を回避する最善の方法だ」【スティーブ・ジョブズ】 君たちもやがて死をむかえる。それは遠いさきのことであろうか。夏休みの宿題がそのおわりに近づかないとできなかったように、死にいたっての準備もおそらく間際になってからあわてる。賢人は事前に少しずつはじめる。そして死にあたりすべて奪いさられるものを人生の途中でためこんだりはしない。太古の昔インドにパリクシットという王がいた。若かったが聖者に呪いをかけられ一週間後に死ぬことになった。王は国を捨て死にそなえガンジス河のほとりで聖者に問うた。残りの七日間をどう過ごせばいいかと。 聖者のなかでもっとも発達したもの、すべての「ヴェーダ」を理解したものが王の前にあらわれた。その聖者の名はシュッカデーヴァ。もし人生を完成させたいなら『シュリーマド・バーガヴァタム』をききなさいと教えた。王は七日間この聖者から「ヴェーダ」の甘露をきき人生を完成させ一切の恐怖から自由になり自分がなにものかがわかった。 決意だけでは水泳選手になれないように、東大の入試問題の答えをみただけでそれが正しいか判断できないように私たちには容易に絶対真理など理解できない。はやくから「ヴェーダ」を学び日々研鑽しないといけない。棺桶(かんおけ)にはいるまでの時間はそんなにはない。 結論だが、仕事をえらぶより「ヴェーダ」を受けいれることを優先させてほしい。人生でいちばん意義のあることは「ヴェーダ」を学ぶことである。もしそれができるなら職業にこだわる必要はない。すべてのことは「ヴェーダ」に依存しているからである。それ以外のすべてのものは二次的な要素となりうるからである。収入は少なくてもいい。質素に生きできるだけ自分の能力が活かせる仕事をして余暇を「ヴェーダ」学習にあてる。家族も、仕事も、家も、車も、貯金も、すべて死がくれば捨てないといけない。しかし「ヴェーダ」の知識は永遠であり、死んだあともその効力はつづく。 「私は今ここで五感により認知し得る知識と、認識不可能な実在についての完全な知識を君に与えよう。これを知れば、これ以上に知るべきものは何一つない」【バガヴァッド・ギーター第7章2節】 「霊魂は不滅である。何となれば人生はこの考えを欠くことを得ないから」【ゲーテ】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 1, 2012 07:40:44 AM
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