カテゴリ:著作公開
『第16の茶室』 掛け軸 Bhagavad-gita第16章23節から
教典の教えを放棄し 欲望のおもむくままに行動する者は 完成を達することも幸福を手にすることも そして至高の目的地に至ることもできない 『解説』 世の大方の人々は「ヴェーダ」教典にふれることなく一生を終える。世の中には二種類の人間がいる。「ヴェーダ」の教えにしたがう人と、したがわない人。神を喜ばせようとする人と、自分を喜ばせようとする人。人生を成功させる人と失敗させる人。正道をあゆむ人と、道からそれまよう人。神聖な質の人と悪魔的な質をもつ人。 ここでは「ヴェーダ」にしたがわない人のことを、欲望のおもむくままに行動する人といっている。「ヴェーダ」をきいただけ、しっただけでは不十分。したがわないと効果はない。どうしたがうかをグルにたずねないといけない。およぎかたを本でよんでもそれだけではおよげないのと同じである。 人間生活は動物生活と違い「ヴェーダ」を受けいれるために用意されている。もし人間として生を受けた幸運をむだにしたなら、その反動を覚悟しないといけない。「ヴェーダ」の中にかかれている教えはクリシュナをしるためのものである。クリシュナが本当の保護者だとわかったなら人生の目的、ゴールをどこにおくべきかがおのずとわかるはずである。 チャイタンニャ・マハープラブ(1486~1534)という方は5百年前にあらわれたクリシュナ自身である。暗黒のカリ時代にはクリシュナは地球におりてこないことになっているが、このカリ時代には隠れてチャンナ・アバターラ(隠れた化身)としてあらわれたのである。チャイタンニャ神は「カリ時代では主の聖なるみ名を唱える以外方法はない」といわれた。マハー・マントラの唱名以外に人生を完成させる手段はないのである。 チャイタンニャ神はカリ時代のユガダルマ、サンキールタン・ヤッギャを教えた。 クリシュナも5千年前に「常に私の栄光を唱えなさい」【バガヴァッド・ギーター第9章14節】といっている。 【シュリーマド・バーガヴァタム(バーガヴァタ・プラーナ)】の最終節(第12編13章23節)にも「私は至上主ハリに尊敬の礼をささげます。集まって主のみ名を唱えることで全ての罪深い反動が破壊され、主にひれ伏し礼をささげることで全ての物質的苦しみが取り去られます」とある。 また「カリ時代では、人々は一般に寿命が短く、しかも精神的に目覚めにくい。そしてさまざまな心配をかかえている。彼らにとって、精神的悟りの最もよい方法は、主の聖なるみ名を唱名することである」【ブリハン・ナーラディーヤ・プラーナ】とかかれている。それが最高の供犠(ヤッギャ)であり、サンキールタン・ヤッギャとよばれる。 チャイタンニャ神は「ヴェーダ」の教えを三つにまとめ説明した。その三つの主題とは、下記のとおりである。 1)生命体と人格主神との関係を確立させること 2)献愛奉仕に関係のある義務を遂行すること 3)その結果究極のゴールである神のもとに辿りつくこと 左から、クリシュナ、チャイタンニャ、ラーダー まず自分のゴールをどこに設定するかきめないといけない。ゴールがわからないと、だれと関係をもち、どんな修練をおこなうかがわからない。ゴールは本当の家にかえること。そのためにはグルにしたがい、主の聖なるみ名を唱えるという供犠をおこなわないといけないことがわかる。これがカリ時代の「ヴェーダ」の究極の指示なのである。最も秘奥な結論をチャイタンニャ神は明示してくださったのである。これはとても重要な部分である。だれにでも明かされるものではない。心して胸にきざんでもらいたい。 マハー・マントラを唱えることで人生の完成、至高の幸福が達成される。これは秘奥な部分に属する教えである。クリシュナのみ名は強力ですべての罪を灰にする。 『ハレー・クリシュナ ハレー・クリシュナ クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー / ハレー・ラーマ ハレー・ラーマ ラーマ ラーマ ハレー ハレー』 5百年間主チャイタンニャの教えは途絶えず現代にも受け継がれている。 オバマ米大統領にも「バガヴァッド・ギーター」は手渡されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[著作公開] カテゴリの最新記事
オバマ大統領の隣の方はラダナータ・スワミです。その上の写真のキールタンの中央の方も同スワミです。アメリカ人でプラブパーダの弟子です。
(Sep 21, 2012 09:33:17 PM)
教えていただき、有難うございます。 (Sep 22, 2012 04:02:08 AM) |
|