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心の癒し身体の癒し

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2006.06.09
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テーマ:心の病(7312)
カテゴリ:聖書のことば

42:1 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。
42:2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
42:3 傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。
42:4 暗くなることも、傷つき果てることもない/この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。
(イザヤ42;1~4)

26663 熊野の山.jpg

 昨日に続いてイザヤ書42章の初めの言葉から。きょうの箇所に僕(しもべ)と呼ばれる人が出てきます。イザヤ書に出てくる僕(しもべ)は特別な存在として登場します。バビロンに捕らわれていた民衆を故国パレスチナに帰すペルシャ王クロスをさすこともあります。しかし、42章以降にもありますが、必ずしも力強い、大権をもつ国王のような存在ではなく、心優しい存在であったり、嘆き悲しむ存在であったり、いったい誰をさすのか、はっきりしません。だから興味が尽きないのですが、当時このことばを聴いたイスラエルの人々は、いったいこの僕(しもべ)とは誰か、疑問に思ったことと思います。この42章の初めに出てくる僕(しもべ)に対して、「見よ」と全能の神は、聞くものに注意を呼びかけます。またこの僕(しもべ)は神が、支えている、選んでいる、喜んでいる、待ち望んでいる存在です。この人の上に神の「霊は置かれ」るほどに、神の特別な力が与え、奇跡を行い、神のことばを預言する存在です。まさにメシア(救世主)です。「国々の裁き」というのは、正しい判断で裁判を行う、正義を行う、と言う意味です。「裁き」とは律法(法律)に則って裁判を行うわけですが、この「裁き」とともに、「許し」と「恵み」とが一つになっているのが聖書の「裁き」です。彼は、国々の裁きを導き出します。いままでのこれら肯定的な力強い表現がされている僕(しもべ)は、つぎの7つの否定のことばによって続いて、表現されます。つぎの7つの否定のことばによって、神の裁きを実現します。「叫ばず」「呼ばわらず」「響かせず」「折ることなく」「消すことなく」「暗くならず」「傷つき果てることもない」ようにして神の公義を行い、正しい裁きを導きいれます。このかたは、柔和な、静かな、心やさしい、どこか女性的でもあります。イザヤは、世界中の国民が、この僕(しもべ)の教えを待ち望むようになると預言しているのです。いったいこの僕(しもべ)とはだれのことを指して言ったのでしょうか。

 

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Last updated  2006.06.09 10:09:36



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