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テーマ:心の病(7312)
カテゴリ:聖書のことば
53:6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。
自分のしたことは、自分で責任を持つように、とよく言われる。子供の時から自立の精神を養うように、自分のことは自分でできるように、と教える。でも、人間にできないこともある。人には、そのままの姿で神の前にたつ事ができないこともその一つだ。善なる神の前に立つことのできる、神の国に入れる資格など誰一人もっていない。自分を正しい人間だと言えるものはいない。誰もが罪びとである。誰もが生きるために人を傷つけ、悪を行ってしまう、そんな弱い存在である。だから、そんな人間に対する救済を、神は天地創造のときから計画されてきた。このイザヤ書もまた、わたしたちの罪のすべての、道に迷った責任の、神をなおざりにしてきた人間の弱さの救済を約束している。人が、そのすべての責任を、自分で負わなければならないのに、聖書の神は、それをこの「苦難のしもべ」に背負わせようとするのである。わたしたちが永遠の刑罰に入る代わりにイエスに、「父がお与えになった杯」をのませようとされたのである。それほど大きな愛を人間に注いであなたの名前を呼んでいるのである。もし、わたしたちは、これほどの大きな愛を示されていながら拒絶するとしたら、なんら申し開きのことばも見つけられない。
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Last updated
2006.06.26 10:35:29
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