カテゴリ:洋ロック・ポップス
80年代後半、実はヒットが必然だったデビュー作 リチャード・マークス(Richard Marx)はシカゴ出身のシンガーソングライター。アーティストとしてデビューする以前、早くから音楽活動をしており、17歳の時にはライオネル・リッチーのアルバム(『ライオネル・リッチー』)にも参加をしている。また、その少し後には、デヴィッド・フォスターと共に仕事をし、シカゴやフレディ・ジャクソンへの曲提供も行っていた。 そんな彼がソロ・シンガーとして満を持してデビューしたのは、1987年の本作『リチャード・マークス(Richard Marx)』であった。出身はシカゴだったものの、当時既に彼は活動の場をロサンゼルスに移しており、西海岸ロックらしさを前面に押し出してのデビューとなった。そんなわけで、本デビュー作の日本盤の帯にも、“遥かなるウェスト・コーストの夢、ふたたび……”という謳い文句がある。別に西海岸だからと言って、イーグルスのサウンドをまねているわけではないが、参加メンバーに西海岸色が強いのも確かである。ジョー・ウォルシュ、ティモシー・シュミット、ランディ・マイズナー(いずれもイーグルスのメンバーとして知られる)がゲスト参加している。 このデビュー作の特徴は、本人がソングライティングを全面的に行い(収録曲の半分が自作、残り半分は共作)、プロデュースにも携わった(デヴィッド・コールとの共同プロデュース)点にある。一般には、ただ新たなシンガーが出てきたように受け止められた節もあった。けれども、実際のところ、リチャード・マークスの本領は、アーティストたる部分(単なるシンガーではなく)をこの20歳代前半の時点で兼ね備えていたことにあった。 案の定、シングルは次々とヒットを飛ばし、アルバム自体も全米8位の売れ行きとなった。最初の2枚のシングル(2.「ドント・ミーン・ナッシング」と1.「シュドヴ・ノウン・ベター」)は全米チャートで3位のヒット、続く第3弾シングルの3.「エンドレス・サマー・ナイツ」は全米2位、そして4枚目のシングル・カットとなった5.「ホールド・オン・トゥ・ザ・ナイツ」は、ついにNo.1ヒットを記録した。 どの曲もキャッチーでなおかつしっかりと作り込まれていて、今から思えばヒットするのが当然のような出来だった。骨太でキャッチーながらも軽薄に聴こえさせない巧妙なロック・サウンドの作りに関しては、上述の共同プロデューサ、デヴィッド・コールに負う部分が大きい。この人物は、本格的な王道アメリカン・ロック作であるボブ・シーガーの『ライク・ア・ロック』をちょうど手掛けたばかりだった。コマーシャリズム上は、当時のリチャード・マークスは、ひょっこり出てきた“大型新人”として扱われていたかもしれないにせよ、実際には既にキャリアを重ねつつあったアーティストで、レコード会社としてもこれだけのヒットは計算済みだったのではないかという気さえする。 ついでに、ちょっとばかり幸せなエピソードを一つ。当時、リチャードは女優でシンガーのシンシア・ローズと付き合っていた。二人は1983年に出会ったそうだが、リチャードが7歳も年下ということもあり、その時は異性としての対象にもならなかったようだ。付き合い始めたのはその2年後にパーティで再会してからだったと言う。そして、付き合いが始まり、記念すべきリチャードのファースト・シングル(2.「ドント・ミーン・ナッシング」)のビデオにシンシアは出演した。そして、本盤発表の2年後、二人はめでたく結婚し、3人の子供に恵まれて現在に至る。 [収録曲] 1. Should've Known Better 2. Don't Mean Nothing 3. Endless Summer Nights 4. Lonely Heart 5. Hold On To The Nights 6. Have Mercy 7. Remember Manhattan 8. The Flame Of Love 9. Rhythm Of Life 10. Heaven Only Knows 1987年リリース。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年08月22日 00時32分58秒
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