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テーマ:今日聴いた音楽(74028)
急に服部克久さんの2012年の日本レコード大賞でのスピーチを思い出し、あんな過激なことを話されたらそのあと消されてしまったんではと調べたら、2020年に普通に病気で亡くなられたことを知り、一安心。経歴を調べると芸能界のサラブレッドの家系に生まれ、いくつも名曲を残された方と知りました。小物が手出しできる相手ではなかったようです。
自由の大地ほかいくつかご紹介します。卒業のテロップに流れていた服部さんの言葉が印象的でした。 ■参考リンク ZAKZAK:服部克久さん、83歳で死去 “音楽愛”が凝縮された2012年「日本レコード大賞」の総評2020.6/15 00:00 服部良一さんの偉業を引き継ぎ、日本の大衆音楽に大きな足跡を残した服部克久さんが83歳で、先週亡くなりました。 人気番組のテーマ音楽やヒット曲の作・編曲に異才を発揮。その“音楽愛”が凝縮されたスピーチとして知られるのが2012年の日本レコード大賞の制定委員長として大賞のプレゼンターを務めたときの総評です。 「歌謡曲からヒップホップまで、幅広い音楽を聴いていただいたと思います。これが今の日本の歌謡界の現状で、今日3時間聴いていただいて、すっかりその現状が把握できたと思います。お楽しみいただけましたでしょうか」 以下略。 Wikipedia:服部克久 服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11月1日 - 2020年〈令和2年〉6月11日[1])は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身[2]。 人物・来歴 1936年、作曲家・服部良一の長男として生まれる。幼少より音楽の英才教育を受け、国立学園小学校、成蹊中学校・高等学校を経てパリ国立高等音楽院へ留学。和声、フーガ、対位法を学んだ後、1958年卒業。帰国後すぐに戦後の復興後のテレビ放送の草創期より活動を始める。 日本テレビ『サンデーダーク』、『ハニータイム』、フジテレビ『ミュージックフェア』などを皮切りに、テレビ、ラジオ番組、ドラマ、アニメ、映画の音楽を数多く担当。1971年には、「花のメルヘン」で第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞。 1983年より「音楽の自然食」をテーマとしたインストゥルメンタル集「音楽畑」シリーズをスタート。「ル・ローヌ」、「自由の大地」、「Friends, Love, Believing」などの代表曲とともに、全20作をリリース。オーケストラサウンドを徹底的に追求したこのシリーズは、一つのジャンルとして確立され、日本レコード大賞企画賞を2回(第32回:1990年、第40回:1998年)受賞した。 毎年正月に、海外(特にアメリカ)のポップス・オーケストラの来日公演を聴き刺激を受け、「日本一のポップスオーケストラで、日本一のサウンドで、最高の演奏で聞いてもらおう」と[3]東京ポップスオーケストラを組織し活動を始めた。このオーケストラは現在も活動を続けている。 日本音楽作家団体協議会(FCA)、日本作曲家協会(JACOMPA)を歴任。生前は日本作編曲家協会(JCAA)の会長、東京音楽大学客員教授、NPO法人LIVE FOR LIFE理事長などを務めていた。 2009年、音楽家生活50周年を記念してアルバム『服部克久』、『服部克久の世界』を2枚同時リリース。記念コンサートも開催した。 2020年6月11日午前8時42分、末期腎不全のため[4]東京都内の病院で死去[2][5]。83歳没[1]。 Musicman:第22回 服部 克久 氏 作曲家 皆様あけましておめでとうございます。おかげさまで「Musicman’sリレー」も早22回目、3年目を迎えることとなりました。今後も音楽業界内外で御活躍の方々の声をダイレクトにお伝えしてまいります。「Musicman-NET」は今年、さらなるパワーアップをめざして奮闘中!応援よろしくお願いします。 さて、日本歌謡界の大御所、宮川泰氏のご紹介で登場したのは、日本音楽界が産んだサラブレッド、服部克久氏です。あくまで紳士的な態度とおっとりとした語り口、テレビで拝見するイメージそのままの服部先生ですが…お若いころの意外な 営業活動やフランス留学の想い出、さらに音楽業界がかかえる著作権問題まで、幅広いお話しを伺うことができました。 以下略。 服部克久(8)学校帰り日劇の楽屋が遊び場 エノケンさんからお菓子日本経済新聞:私の履歴書 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.30 10:00:53
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