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2005.07.10
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テーマ:鬱病(2268)
カテゴリ:カテゴリ未分類
僕は約2年半前に重度の鬱病と診断された。

それまでの僕の人生は、なんとなくではあるが挫折をほとんど味わう事なく生
きてきた。しかし、どれも酷く中途半端な生き方をしていたように今では思う。

大学はアイスホッケーが強い国公立大に入学したくて、高校時代は必死に勉強
した。いざ、大学に入り、部に入部したら、そこには納得の出来ない秩序が形成
されていて僕のアイスホッケーに対するスタンスを曲げざるを得なかった。
はっきり言って年功序列型の体育会系にありがちな体制がそこにはあり、僕は
その世界に身を投じた事に些かの不安を覚えた。
歳が経つにつれ、プレイヤーとしての限界を感じていた僕はコーチングで生活
出来ないかと模索し始めた。しかし、当時のアイスホッケー界ではそれは無理の
ある事だった。
そして僕はアイスホッケーからすっぱり足を洗った。

大学院を卒業した後、僕は希望していた会社へ入社していた。
新人研修を終え、自分が希望する部署に問題なく配属され、その部隊での仕事
を始めた。
仕事は僕の性格、性質に合っていた。新人の中では一番できるという自負もあっ
た。
僕は部署内で様様な製品に関わるようになっていた。そして、うちの部署内で
もっともスキルを要する部隊に配属されていた。
そこでは2年半ほど頑張った。
その後、あるチームのリーダーに赴任した。

ある日、僕はどうしようもなく現実から逃げたいという衝動に駆られた。

そして僕は急行列車に飛び込もうとしていた。幸い周りの人々が僕の異変に気付き
羽交い絞めにしてくれたので、命を消す事はなかった。

この衝動は無意識のうちに発生していた。
自分の心の叫びが初めて聞こえた僕はかかりつけの心療内科に駆け込んだ。

診断の結果は「重度の鬱病」。主治医に今すぐにでも会社を休職して、入院なり
した方がいいと言われた。会社を休む事に非常に抵抗があったが、医師の言うとお
りに従った。

最初の休職期間中は何をしていいのかわからずに毎日を送っていた。ただただ時間
だけが無情にも過ぎていくばかりだった。

3ヶ月後、精神的に少し安定が見えてきたので、主治医と話をし、復職する事にした。

復職後、復職前と変わらない仕事をこなして行った。質量ともにまったく以前と同じ
ハードな仕事量。

そして3ヶ月の月日が経った。
僕は会社で倒れた。パニック発作を発病させていた。
すぐさま主治医のところに連れて行かれ、診断を受けた。
自分ではあまり無理していたわけではなかったが、心が精神が悲鳴をあげていた様だ。
そして又しても休職をするよう診断が下された。

この2度目の休職は5ヶ月に及んだ。
その間、僕は2ヶ月ほど実家に戻っていた。
何をしていたのかは、はっきり言ってほとんど覚えていない。ただ、起きて薬を飲み、
食欲を満たし、そして眠る、といったサイクルを何度も繰り返していた。

この2度めの休職の間に、僕の父母と僕の嫁さんの間に角質が出来ていった様だ。

何をする事も無く過ごしてきたが、薬のお蔭なのか精神的闇から少しずつ脱出していた。
休職して5ヶ月が経った時に主治医の方から復職をすることを提案された。
僕は復職する事が酷く怖かった。しかし、何もせずに時間の流れを見つめている事は
もっと苦痛だった。
そこで僕は決断した。「復職しよう」と・・・

この時の復職の際には、事前に僕の上司と主治医との間で、どのように復帰していけば
良いか、どのようなことをしてはいけないのか等を話し合ってからの復職となった。
上司も人事の方でも僕の身体の事を考慮して受け入れる体制を整えてくれた。

約7ヶ月。順調に仕事をこなし、そして僕は新しい部隊に配属する事を希望した。

新しい部隊では、やることなすこと全てが初めてのことだったが、どうせ始めから上手く
はいくはずがない、と自分に言い聞かせ、ゆっくりと自分のペースで仕事をした。

ある日、新しい仕事をやることになった。仕事の内容はだいたい把握していたが、詳細
まではわからなかった。その仕事の詳細を先輩に聞いていたら胸が詰まる感じがした。

次の日、僕は闇の中にまた身を投じていた。

そして3度目の休職をすることとなった。この休職は6ヶ月間にも及んだ。
毎度の事であるが、何をしていたのかほとんど記憶が無い。

すっかりタナトスコンプレックスに冒された僕の精神構造は、なかなか再構成される
ことがなかった。
正直、ここで精神が上向かないのなら、もう人生捨ててもいい、というところまで
落ちていた。
しかし、それは出来なかった。shionとrion、そして妻を置いていく事はどうしても
出来なかった。

「今日は死ぬのはやめよう。死ぬ事はいつでも出来る。だから今日はやめよう」

毎日そう思いながら過ごした。

この期間、夜に時々二子玉川のスナックに週に一度のペースで通っていた。まあ、昔から
の行きつけの飲み屋だ。その飲み屋の娘に、歌声がGacktに似ていると言われた。
彼女はGacktのファンクラブにも入っている、根っからのGacktファン。その彼女が言うの
だから少しは似ているのかな?と思い彼のCDを一枚買ってみた。

心打たれるものがあった。

そして僕は彼に興味を持つようになった。そして彼が身に付けているものに興味が湧いた。
もともとシルバーアクセが好きな僕は彼が付けているアクセに強く惹かれた。

彼のお蔭で、”何かに強い興味をもつ”という感覚が蘇った。鬱病にはこうした感覚が回復
するためには重要な事である。

彼自身、そして彼の歌。彼が身に付けているもの。

とにかく気になってしかたなかった。

そして僕の興味はシルバーアクセに落ち着いた。

この興味のお蔭で、僕は様様な方と出会えた。特にGacktプロデュースの DARTS を創造する
人達。

彼らに会って、そして彼らの作品に触れ、お守りのように身に付ける事で幸せと安堵を感じた。

昨日もとても貴重な時間を過ごす事が出来た。

彼らの感性に触れ、そこから創造される作品を見つめ、身につけることが今の僕にはとても
幸せなことだ。

彼らは”タナトスコンプレックス”をどのように表現するだろうか?というのが今気になる事
である。

もし、時間と懐が許すのなら、カスタムメイド、僕だけのアクセを作ってもらえたらなー、と
思う。
なんて図々しいか。

とにかく、僕が言いたいのは、Gackt へ、そして彼の個性を引き立てている創造者達へとても
感謝しているということだ。

僕は本当に闇をみた。そして今はシルバーの輝きに魅了され、上を向いて歩いている。

闇からの脱出に万歳。
封印されよ、タナトスコンプレックス。

==================================================
# なお今回の DARTS 第5段で僕は以下のものを注文しました。
# http://www.tsutaya.co.jp/sp/gackt/index2.html
#
# ・DARTS of GIGOR sleek flow (for myself)
# ・DARTS of GIGOR aile (for my wife)
# ・DARTS of GIGOR aile (for myself)
# ・DARTS of deaf breed DREAM × 2 (for my wife)
# ・DARTS of TAUJAN Geburah (for myself)





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Last updated  2005.07.11 14:14:03
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