栗子山の由来
山を貫くより杭甲山の山頂が栗の形をしているので、栗子山と付近の里人は呼んでいた。菊池新学の山形県写真帖よりb posted by (C)coolway2隧道西側入り口近くには、二階建ての行在所が建てられていた。二階に設けられた玉座の隣室には上覧に供する油絵が飾られてあった。上杉鷹山像、大久保利通像、そして栗子隧道図の三点で高橋由一の作品である。二点の肖像画は、栗子山隧道の安全を祈願して建立した栗子神社に、御神体ととして配祀する旨の奏上があった。つづいて、栗子山隧道図献上のお伺いが立てられ、天皇はこれを受諾した。そして持ち帰る旨を伝えた。県側からは、油絵製作の経緯も製作者高橋由一の名も奏上されなかった。天皇からもそれに類する御下問はなかった。高橋由一の石版画の世界より南置賜郡万世新道ノ内滝ノ沢東ヨリ栗子隧道西口行在所ヲ望ム図4 posted by (C)coolway2南置賜郡万世新道ノ内栗子隧道西口ヨリ豊受姫尊神社ヲ望ム図3 posted by (C)coolway2