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2011年12月08日
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カテゴリ:歴史認識
 中国への侵略戦争が中国軍民の抵抗によって泥沼化した70年前のきょう、日本軍は真珠湾を奇襲してアメリカ、イギリス、オランダなど連合国に宣戦布告し、無謀な戦線を拡大したのであった。歴史教育者協議会前委員長の石山久男氏は、共産党が発行する月刊誌「学習」12月号に寄稿して、次のように述べている;


●アジア太平洋戦争の全体像とその名前

 アジア太平洋戦争はそれだけが単独で1941年にはじまったわけではありません。実は満州事変からアジア太平洋戦争まで、戦争はほほ連続していました。満州事変とは何かというと、1931年9月18日、中国東北部(満州)に駐屯していた日本の関東軍が、瀋陽郊外の柳条湖で日本が経営していた南満州鉄道(満鉄)の線路をみずから小規模に爆破し、これを中国軍のしわざだと偽り、自衛のためと称して進軍し、半年後には中国東北部全域の主要部を占領しました。翌年、占領した中国東北部を支配する日本のかいらい国家「満州国」を建国しました。さらにその後、「満州国」に隣接する中国の華北地方に侵略を拡大し、華北を中国から分離する工作をすすめました。

 日本の侵略に抵抗し中国の独立を守ろうとする運動がひろがるなか、1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で起きた偶発的な発砲事件をきっかけに日中全面戦争に突入します。中国軍と民衆の抵抗は根強く、戦争が長期化すると、日本は戦争のための資源獲得をねらって、1940年9月、インドシナ半島北部(当時フランス領、今のベトナム)に進軍し、続いて1941年7月、インドシナ半島南部に進軍します。これによって米英との対立は決定的となり、同年12月の米英などとの開戦にいたるのです。

●アジア侵略の歴史の結末として

 こうしてみると、アジア太平洋戦争の背景には、中国東北部にはじまる日本の中国侵略があり、それが思うように進まないことから、米英を相手に戦争をアジア太平洋全域に拡大していったことがわかります。12月8日というと太平洋の真ん中にあるハワイでの日本軍の真珠湾攻撃が有名ですが、実はそれよりも数時間早く、イギリスの植民地だったマレー半島のコタバルへの攻撃が行われています。

 さらにさかのぼると、日本が中国東北部を侵略したのは、1910年に日本が併合支配した朝鮮の独立運動が朝鮮と中国の国境地帯を根拠地にして行われていたため、それを鎮圧して朝鮮の植民地支配を安定させることが目的でした。また、なぜ日本軍が中国東北部や北京に駐屯していたのかという疑問も生まれます。中国東北部への駐兵権は1905年の日露戦争勝利によってロシアから南満州鉄道の経営権を奪い、それに付随して鉄道を防衛するためとして獲得したものです。北京への駐兵権は、列強諸国の中国侵略に反対する民衆運動として1900年におこった義和団事件を日本も含む列強諸国連合軍が鎮圧したさいに獲得したものです。アジア太平洋戦争は近代日本のアジア侵略の歴史の結末だったのです。

 1937年にはじまった日中戦争について日本政府は、これを戦争ではないと主張し、「支那事変」とよんでいました。アジア太平洋戦争がはじまると、日本政府は「支那事変」もふくめて「大東亜戦争」と名づけました。その名は、日本がうちたてようとしたアジア全域の支配を、アジア各国が欧米の植民地から解放されて共に栄える体制=「大東亜共栄圏」をつくるのだと偽り、それを戦争目的として宣伝するためにつけた名前でした。ですから当然に敗戦後はこの偽りの名称は使われなくなり、それにかわってアメリカが名づけた「太平洋戦争」という名前が一般に使われるようになりました。しかしそれでは、いま述べてきたようにアジア太平洋戦争の源が日本の中国侵略にあり、しかも主戦場はアジアにあったという本質が表現できません。そこで満州事変からの一貫した戦争であることを示すために「十五年戦争」という用語が使われ、さらにその後、1941年以後の戦争については「太平洋戦争」ではなく「アジア太平洋戦争」とよぶようになったのです。


月刊「学習」2011年12月号 日本共産党中央委員会発行、25ページ「開戦から70年、知っておきたいアジア太平洋戦争の歴史の常識」から引用

 アジア太平洋戦争に関する日本政府の見解は、サンフランシスコ講和条約に調印した際の言動に表現されており、近年では村山談話がそれを改めて確認している。あの憲法改正を声高に唱える安倍晋三元首相でさえ、これを継承していると明言せざるを得なかった、戦後日本の礎石である。ところが世間には、言論表現の自由を盾に「あの戦争は自衛のためだった」などと主張する出版物が後を絶たず、堂々とそれを主張する神社まで存在する始末である。本来であれば、政府はこのような間違った言論には正々堂々公式見解をもって反論するべきであるが、なぜか沈黙している様子を見ると「本当に侵略戦争を反省したのか」と疑って見たくもなると言うものだ。少なくとも、我々国民は二度と再び侵略戦争に動員されることのないように、正しい歴史認識を持ちたい。







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最終更新日  2011年12月08日 19時02分24秒
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