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2011年12月31日
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カテゴリ:歴史認識
 私たちの日本は、日清戦争から昭和のアジア太平洋戦争の敗北に至るまで、一貫して東アジアへの侵略戦争を遂行してきたのですが、その戦争に対する戦後の対応が不十分であることについて、歴史家の石山久男氏は、共産党の月刊誌「学習」12月号で次のように述べています;


 戦後処理の問題としては、戦争責任をはっきりさせること、賠償・補償問題を解決すること、関係国との国交を回復または樹立することなどがあり、それらの根底には戦争の全体像とその本質を正しく認識するという問題があります。

●東京裁判をどう見るか

 戦争責任の問題にかかわって、東京裁判についてふれておきます。育鵬社・自由社の教科書は、東京裁判は勝者の裁きであり、戦争指導者の責任を問う「平和に対する罪」は事後に作られた規範だから不当だと主張し、有罪とされたA級戦犯を擁護しています。「平和に対する罪」は第二次大戦後に明文化されたものですが、国際法上違法な行為についての指導者の責任を追及する規定は第一次大戦後の講和条約に登場しており、戦争そのものを違法とする不戦条約も1928年に成立し日本も批准していることを考えれば、事後法ときめつけることはできません。むしろ国際的には、戦争違法観を発展させたものとして評価されています。しかも「平和に対する罪」だけで死刑にされた者はいません。

 一方、東京裁判には限界もあります。天皇の戦争責任が問題にされなかったこと、731部隊のような重大な戦争犯罪が免責されたこと、連合軍に対する戦争犯罪は裁かれても、植民地に対する犯罪行為、残虐行為などがあまり追及されなかったことなどです。東京裁判にも前述のようなアメリカの意向が強く反映していたこと、アジア出身の裁判官が少なかったことなどがその原因としてあげられます。

 結局、このような東京裁判の限界ともかかわって、戦後日本では戦争責任が誰のどういう行為にあったのかということが、明確にされないままになっています。

●国家賠償、補償の問題

 国家間の賠償問題については、その評価は種々あるにしても、一応国家間の条約で決着がついているといえます。ただし、国交が未成立の朝鮮民主主義人民共和国とは未解決です。

 しかし、日本が行った侵略戦争と植民地支配によって被害をこうむった個人に対する補償問題はほとんど未解決です。この問題は、1990年以降、アジア諸国の被害者からの戦後補償裁判の提訴によって大きな問題になってきました。裁判では、日本政府は国家間条約ですべて解決ずみとの主張を崩さないため、判決では補償請求はほとんど却下されています。しかし、多くの判決で、被害の深刻な事実が認定されており、これをどう解決するかが問われています。立法による政治の場での解決を求める判決もあり、その方向も模索されている現状です。

 なかでも「慰安婦」問題については、直接の被害国以外も含めた国際的問題になっています。韓国政府の要請により、日本政府が一定の調査を行い、1993年、調査結果を発表するとともに河野洋平官房長官談話が出されました。そのなかで軍の関与を認め、お詫びと反省を述べるとともに、歴史教育を通じて長く記憶にとどめ、同じ過ちを繰り返さない決意を述べています。その結果、その後の中学・高校の教科書にも「慰安婦」問題が記述されるようになりましたが、この間題への右翼勢力の反発は強く、これが「新しい歴史教科書をつくる会」結成につながりました。そうした右翼勢力の策動により、「つくる会」教科書が参入した2002年版以降の中学教科書からは「慰安婦」記述が消えました。

 こうして問題の解決が進まないなかで、2007年以降、アメリカ、カナダ、オランダ、EU、フィリピン、韓国の各国議会や国連の諸機関で、日本政府に「慰安婦」問題での責任を引き受け、公式に謝罪し、補償を行い、河野談話を否定する言論に公式に反論することを求める決議が採択されるようになりました。それは、戦争における女性に対する人権侵害が現在の問題でもあることから、その解決のためには過去の問題にもきちんと決着をつける必要があるということが国際的な認識になったからです。

 戦後補償問題は、外国の問題だけではありません。日本国内の戦争被害者に対する補償をどうするかという問題があります。軍人・軍属に対しては遺族援護法による援助が行われていますが、一般国民の戦争被害への補償は行われてきませんでした。原爆被爆者、中国残留孤児(婦人)については、まだ多くの問題を残していますが、一応の法的措置があります。最近、空襲被害者に対する国家補償を求める裁判がおこされています。また、そのための立法措置を求める動きもはじまっています。これからの大きな問題になると思われます。

 関係国との国交回復・樹立の問題は、戦後かなり長い時間を要した国があります。現在では一応ほとんどの国との国交が実現していますが、朝鮮民主主義人民共和国との国交問題は戦後66年をへた今も未解決であり、ロシアとは国交はありますが、正式の平和条約がまだ結ばれていません。戦後処理としてはきわめて異例なことといわなければなりません。

●過去の戦争をどう見るか

 これらの問題の根底にあるのが、過去の戦争をどうみるかという問題です。日本国憲法は戦争への反省を基礎において成立したにもかかわらず、旧支配層が権力をにぎってきた政府は戦争を反省する姿勢を明確にしてきませんでした。しかし、1990年代以後、95年の戦後50年村山首相談話、1998年の日韓共同宣言、日中共同宣言、2002年の日朝平壌宣言、2010年の韓国併合百年菅首相談話で、すべて「侵略」と「植民地支配」という用語を使ってお詫びと反省を述べています。1945年に終わった戦争が侵略戦争であり、朝鮮・台湾に対して植民地支配を行ったということを明確にするようになったのです。それが、国際社会の共通認識であり、それを否定するなら世界から孤立するしかないからです。あの安倍晋三首相ですら、河野談話も含むこれらの政府見解を継承するといわざるをえなかったのです。しかし国民はまだ全体としてそういう共通認識をもつにいたっていないことは、冒頭で述べたとおりです。それは右翼的政治家が政府見解に反する発言を一方で繰り返しているからでもあります。そこに育鵬社・自由社教科書、田母神発言などさまざまな歴史歪曲の動きが絶えない根本原因があります。まだ課題は大きいといわなければなりません。          (いしやま ひさお)


月刊「学習」2011年12月号 日本共産党中央委員会発行、「開戦から70年、知っておきたいアジア太平洋戦争の歴史の常識」36~38ページから引用

 靖国神社や右翼団体・日本会議は、アジア太平洋戦争を「自衛のための戦争だった」と主張し、「つくる会」の教科書は侵略戦争を賛美するような内容になっていますが、このような状況を放置するのは政府の責任が問われます。戦争が終わって何十年もたってから生まれた国民は「もしかしたら、その戦争は正しい戦争だったのかも」と間違った考えを持たないとも限りません。それは、国際社会で日本が孤立する戦前の世の中への逆戻りであり、許してはなりません。したがって、わが国政府は、侵略戦争を賛美する言論に対し、政府の見解を説明する必要があります。このように書くと「それは言論の弾圧である」かのように主張する人もいますが、それは弾圧ではありません。靖国神社や日本会議に対して破防法を適用するというのなら、それは言論の弾圧だということになるかもしれませんが、私はそうしろ、などと言うものではありません。不道徳な言論に対しては、政府のきちんとした見解を示すべきであると、このように考える次第です。






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最終更新日  2011年12月31日 20時47分19秒
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