三連休の週末。
今学年最後の試合と6年生の見送り行事が終わり,
私の一年間のサッカー役員の終わりはもうすぐそこです。
年末の12月よりもやはり,
年度切り替えの3月には物思うことが多いのは,
こどもの生活や仕事のサイクルに自分の生活の周期を合わせているからでしょう。
こんなことに意識が向くほど,
どっぷりとこども行事に漬かりきった一年だったんだな~。シミジミ・・・。
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学校役員とはまた違って,
ボランティアで成り立つサッカーチームの役員というのは,
私にとってはとても立ち位置の難しい立場だったなぁといまさらながら思うわけで。
業務のやり方そのものが明確な職務規定にのっとるわけでもない。
漠然とした理念めいたものを共有する中で
自然発生的に意見が生まれ,
責任の所在をむしろ明確にせず物事が進んでいく中に紛れ込む。
続けること,
そのことそのものに意味がある,
そんな役割。
割り切れないこと,
答えのないことの連続。
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逆説的だけど,
こんな経験をして改めて,
”責任を取る”という言葉の深さを考えさせられました。
私の中の”責任を取る”の行き着く先には”終わり”があったんだなぁと気づいたんですよね。
結局のところ自分の使う”責任を取る”という言葉の中には”終わらせてその場を立ち去る”的な発想があって,
今と比べると明確に線引きができる立場で仕事をしていた頃は迷いがなくて楽だったように思います。
いつでも”潔く”その場を立ち去ることができるって,
心の底で思ってたんですね。。。
そしてリセットしてまた改めてゼロから頑張ればいい,みたいな。。
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そんな合理主義的な私を訪れた,
”半公半私のボランティア役員(しかもこどもがらみ)”という新しい価値観。
『こどものことを考えればできる限りのことをやるのが当然でしょう』
という価値観と,
『割ける時間はない』という事情。
パラレルに浮遊するモノたちを,
集めて,
戦わせて,
答えを出して,
進めていく,
そんな役割。
そもそも,
役員の仕事自体,
『やれる人がやればいいよ』
『できる範囲のことをやればいいよ』という緩いくくりの中にあるのを,
やるもやらないも自分次第というシビアな"やる気主義"に置き換えてしまったのは自分の職業柄か悲しい性か。
もともとこどものことはこども次第,
親が口出しすることではないと思っていたところに,
よその親は案外とこどもの世界に立ち入っていて,
自分のこどももよその親の監視下に置かれていることを知って,
『こどもを守らなきゃ!』と”逆上”してしまう新しい自分の出現・・・。
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目標もなければ終わりもない。
続けていればこどもの笑顔を見ていられる,
続けるためには”がむしゃらに頑張る努力”よりも,
”周りや自分が気持ちよくいられるための工夫や配慮”のほうが大切だと,
少しずつ知り始めた・・・そんな一年。。。
生き残るための条件は
”強い”ことでも”頭が良い”ことでもなく,
”変化できること”だと教わった通り,
新しい環境や価値観を知り,
それに適応する術を身に着けていくこと。
自分自身に『おつかれさま』を言って,
新しい変化に向かう,
新しい一年を始めようと思います。