なんでも欲しいものを与えることが’愛”ではない。
最近、幼稚園内の出来事でもそうですが、普段もそう思うことがすごく多いです。こどもたちについてはこちらから。こどもと一緒に成長するママのための応援ページ(You tube の画像が楽天ブログにリンクできないので。)普段の生活でも、最近やっと気が付いたことがある。ある人に、どうしてもピンチなので、明日来て欲しいと頼んだことがあります。そのピンチになった問題の発端は私たち夫婦と仕事のことだったので、直接その人に関係していた分けではありません。ですが、ただ、単に心細かっただけす。見方が欲しかっただけです。甘えたかっただけです。そんな、自分の中では大ピンチだったわたくしCandyは、なんやかんやと言われて、結局 来てくれなかった人のことをうらんだ時期がありました。おととい、ふと おっとっと と知り合いの夫婦が離婚の危機にあるということについて話をしていました。なんと こども3人!?みんな4歳以下!どうしてそうなったかはわかりませんが、夫婦の問題だから、口出ししないでおこう。夫婦の問題に第三者が口出ししても、いいことはない。二人の問題を二人で乗り越えて 初めて絆が深まる。と二人の意見が一致したとき、あれ、どっかで聞いたことがある!?ふっ と 数年まえの自分の中の大ピンチだったときのことを思い出しました。あまりにも、私の中の大ピンチに飲み込まれていて、全然聞く耳を持てなかった。あれれ、おんなじこと言われた記憶がある・・・。そっかぁー。Noっていう ことも 大事なんだなぁーって。そのとき 本人(Candyも含め)は むっとするだろうけど、いい人ぶって行動するよりも、もっと深い意味がある言動もあるんだなぁー、と。今考えれば、二人で乗り越えるこって大事だったと思う。(周りからまったく助けを受けないということではなく、夫婦が話し合って、お互いのために行動すること。)その頃の苦い経験があるからこそ、今の生活をとても幸せだと思えるし、お互いに許しあえる気持ちを持てる。おなじ、No でも 愛情がある No なら 後でわかってもらえる。 これは、きっとこどもたちに対することでも おんなじなんだと思う