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東北の平泉にある中尊寺金色堂が、「世界遺産」になった。
このことは、日本人としても大いに誇りたい。 日本古代史が好きな者として、改めて「藤原三代による東北圏の統治」の凄さを魅せられた。 これまでいくつかの建造物が「世界遺産」となったが、そのどれもが、時の中央権力者が建立したものだった――800年前に遡った建物は。(法隆寺等) 平泉の中尊寺は、辺境の地の地元権力者が建立したものだが、それは中央文化を凌駕する建造物であり、建造意図も壮大なものがある、とみる。 それは東北人の凄さでもあるのだ――。 古代から東北圏は、「蝦夷(えみし)の国」と朝廷から蔑視されていた。征夷大将軍という名称は、「蝦夷退治」の朝廷部隊の総大将に与えられたものだった。 奈良時代(710年から784年)の坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が有名である。 鎌倉幕府(1180年代~)、源頼朝により「藤原三代のよる東北圏支配」が終焉した。(1189年) それまで、東北圏は「蝦夷の国」として、京都中心の朝廷律令体制(中央集権体制)から独立していたのである。 独立していたとは、独自の軍事力と経済力、そして文化を持っていた。 古代から東北圏は、積雪と寒冷の大地であり、豊穣の大地とは程遠いものがあった。その中、独立国家的東北圏――蝦夷の国――を営々と統治していたのである。アテルイ~阿倍一族~藤原三代と――。 歴史は伝えている――その時代、東北圏である「蝦夷の国」は、統治者と東北民衆が一丸となっていたと。 それは日本の歴史において、稀有なものと言える。 その象徴的な遺産が、世界遺産となった中尊寺金色堂等である。 800年の時空を超え、「世界遺産・金色堂等」は、存続してきたのである。 覇者の論理を当てはめれば、その事はまことに稀有と言わざるを得ない。 藤原三代以前から、東北圏はある種の独立国家を形成していたのだ。 奈良時代以前から、大和朝廷に隷属することがなかった。 だから、朝廷から「蝦夷(えみし)」という蔑称をつけられていた。 その当時、九州には「隼人(はやと)・熊襲(くまそ)」という蔑称の反朝廷勢力もあったが、やがて朝廷軍に降った。 だが、「蝦夷の国」は鎌倉幕府登場まで、自主独立を貫いたのだ。 その間、幾度も朝廷中央軍との壮絶な戦いがあった。 にもかかわらず、「中尊寺・金色堂等」は破壊されることなく存続した。 周知のことだが、金色堂には藤原三代のミイラ(正しくは4代)が残されている。 よく残したものである――鎌倉幕府は。 そう考えていくと、鎌倉幕府も関東地方圏を代表する政権だったわけで、源頼朝は、藤原三代等が統治した「独立国家・東北圏――蝦夷の国」に、ある種の反中央支配(反朝廷中央支配)という政治的思想の影響を受けたのかも知れない。 それと同時に、東北民衆の強い絆を感じ、彼らの怒りを恐れたのかも知れない。 だから、その象徴的存在である「中尊寺金色堂等」を破壊することなく、存続維持を認めたのであろう。 世界遺産となった「中尊寺金色堂等」には、上述したような政治的背景が見える。その政治的背景とは、今日的意味に換言すれば、 「地方自治権の原点」とみなす事ができ得よう。 それは、取りも直さず「東北人の様々な力」の凄さでもあるのだ。 ↓↓↓クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年06月27日 20時00分20秒
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