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タナトスのフラミンゴ

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グロリオサ♪

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Nov 10, 2010
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IPS細胞のトラウマ ~1.偽善者

その女の子は、貧しい境遇に生まれた。だが、両親の慈しみのおかげで何一つ不自由に思うことはなかった。生来、楽観的で天然なのも幸いした。1ダースが12個だとは知らずに、鉛筆を一箱買い、2本使ってもまだ10本あることに感激し、なんて自分は幸運なのだろうと、天を仰いで感謝したほどだ。そんな娘の様子を、音楽と裁縫を愛した母親は忙しい家業と家事に追われながらも、ほんの少し笑って応えるだけで、1ダースは12個なのだ、などと野暮で夢のないことを言って娘の笑顔を壊すことはなかった。世間のどんな親子にも共通の絶対的な信頼関係が根底にあった。だから、母親は娘の無知を案じなかったし、娘も母親の信頼を裏切ることはなかった。母親は、娘にとって最高の理解者で親友だった。だから、多少風変わりな個性が人を遠ざけても、孤独を感じることはなかった。友達は必要なかった。満ち足りていた。だから、33年後、娘は自分の全存在をかけて、母親の命を断った。それが、母親の望みなのだと、言葉は交わさなくても確信があったからだ。


私は幸せ者だと思う。心の底から果報者だと思う。
心の傷口から血の噴き出すような経験をしても、その度に信念のみで乗り越えてきたし、大きな壁が立ちはだかっても、ただただ意志の強さで克服してきた。
自分を信じる、ただその一念で、貧しい境遇にも心身の病にも打ち勝つことができたし、悩みはしても、生きる希望を失ったことは一瞬もない。心に一点の曇りもない、そのことが私の強みだし、最大の武器だと言ってもいいように思う。
普通なら、そう産んで育ててくれた両親に感謝をするところなのだろが、そこは占い師、私が私である所以は、私が望んでそう生まれてきたのだと確信しているので、親の、特に母親のありがたみを感じはしても、やはりそこはまず自分ありきで、そんな親を選んで生まれた自分の選択の正しさこそがありがたかったりする。
 
そこまで思うのには、もちろん理由がある。
原風景というのは、誰にもあるものだが、私の場合は、まだ、母の胎内に宿る前に、ある選択をしたときに遡る。
ある声が、まだ人間の形すらとっていない私の意識にこう問うのだ。
「おまえには、二つの道しか用意がされない。楽だが偽物の人生か、苦しいが本物の人生か、そのどちらかだ」と。
もちろん、私が選んだのは後者のほうで、私は、この上なく最高の母を選んで、わざわざ苦しい人生を選んだというわけだ。ただ、想定外だったのは、ほんの少しばかり人目を引く点で、そのために心ない中傷や根拠のない賛辞に振り回され、結果的に心に傷がつくことは多かっただけで、それもまた自分の選んだことなのだから、人を恨むことも、ことさら苦に思うこともなかった。生きていれば、誰にもふりかかることで、問題は自分を曲げないでまっすぐにいられるかどうか、風評や流行に振り回されず、髪型や身につけるもの、指先にいたるまで、自分らしくいられるかどうかだけが、重要だという確信があった。だから、死ぬほど悩みはしても生きたいと思った。辛いときほど人前では涙のかわりに笑顔を見せた。ホラはふいても嘘をつくことはなかった。母を、何よりも自分を裏切ることも、汚すこともなく、ひたすら自分を信じて本当にやりたいことだけをして、生きることができた。ニーチェに言われるまでもなく、この人生を一から始めてもいいと思っている。

では、もし、あの選択を迫られたとき、前者を選んでいたらどうだっただろうか。
私は、本来の誕生日ではなく、予定日通りに生まれていただろう。そのインターバルは約10日。前にずれるのではなく、後ろにずれる。したがって、私は、9月29日に生まれたので、予定日どおりならば、天秤座であることに変わりはない。太陽と木星が90度という、最大の特徴も変化はない。しかし、もし、10月9日あるいは10月10日に生まれたら、あってはならない惑星同士のアスペクトをとることになる。10月9日が母の命日になることにも因縁を感じるが、大切なことはそんな表面的なことではなく、もっと根が深い。アスペクトとは、惑星同士の関係性とは、それほど重要なのだ。

もし、楽だが偽物の人生を選んでいたら、私は、私の母のもとには生まれてはいなかっただろう。ある程度裕福で、恵まれた環境に育っただろうが、自分の意志を持たず、外面の良い優等生だが、どこまでも欲が深く、足りることを知らず、十分に恵まれているはずなのに、他人と自分を比較し、余計なコンプレックスを抱き、人を妬み、偉い人を偉いとも思わず、素晴らしい人を素晴らしいとも思わず、真の美や芸術を理解せず、ただ、かわいそうな人に同情することが優しさと錯覚し、しかし、決して助けようとはぜず、少数の意見より多数の意見に流され、困っている人には見て見ぬふりをし、ひたすらに権力や立場の強い人の言うことだけをきき、着実に自分だけは安全な場所をキープすることだけに専念をしたことは容易に察することができる。いや、底意地が悪い、という点では、もっと悪質かもしれない。外面の良さで簡単に世間をわたっていけたはずだから、人を世間をなめていただろうし、間違いなく吝嗇だったはずだ。人をせめても自分はせめない、責任転換と金勘定だけは異常に上手、それなのに評判は良かったりする。頭が良いとも言われたりもするし、自分でもそう思っていたりもする。だが、自分が偽物だから人のことは決して信じない。欲は深いから、いわゆる普通の幸せは手に入れなければ気がすまず、妥協しながらも表面はこの上なく幸せそうに一度くらいは結婚もしただろうし、子供も産んだだろう。そして、結局は、結婚生活のハードさに耐えられず、離婚をしたりするのだ。

これは、誇張した表現では決してない。そんな人はよく見かけるし、成功者とされている人にも多い。もちろん、そんな生き方を全否定するつもりも、非難する気もない。ただ、私はイヤだっただけの話だ。そして、そんな人にかかわりたくないだけの話だ。要するにどうでもいいのだ。それは、人を相手にする今の仕事にまったく差し障りがないので、私のとっているスタンスは悪くはないように思う。彼らからの相談には、占いの結果だけを淡々と告げて、彼らのような人に悩まされているような人には、事実を話して盛り上がる、といった具合だ。しかし、人生とは面白いし、そう甘くない。私は、そんな自分を信じられない人を便宜上、分裂型や境界型と呼び、彼らに真実など見えないと考え、諦めていたのだが、その境界型の一人の女性から、その闇の深さと凄まじさ、そして仮に自分を他者を信じられなくても、人生と真っ向から格闘し、無償の愛を抱いたときの強さを見せられることとなり、自分の狭量さを思い知らされ、同時に自分の確信が間違っていないことに改めて自信を深めながらも、結局は相互理解の困難さを見せつけられ、多少ショックがやわらいだ今ですら、思い出すと自分の未熟さと甘さ、あまりに堂に入った偽善者ぶりとあまりの能天気ぶりに頭をかかえて、うぬぽれ刑事の最終回に永瀬が歌う、オレはうぬぽれ~みーのーほーどーしーらず、のフレーズが繰り返し頭をよぎりながらも、ふさぎこんでしなたくなるのだ。






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Last updated  Nov 13, 2010 12:30:25 AM
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☆Satomi☆@ Re:セーフコフィールドの背番号31(07/24) ご無沙汰しております。 お元気ですか? …
☆Satomi☆@ Re:セーフコフィールドの背番号31(07/24) ご無沙汰しております。 お元気ですか? …
★星記★(セシル♪)@ 今更ですが あけましておめでとうございます。 今年は…
グロリオサ♪@ 私も父と仲良しです。 以前から、父とはいい喧嘩友達みたいな関…
★星記★(セシル♪)@ Re何よりでした(^^) お元気そうで、なによりです! 私の方も、…

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