ルドルフ・ジョセフ・ローレンツ・シュタイナー
内的霊的衝動の写しとしての美術史第1講 ドルナハ 1916年10月8日-XCIX・C・第99 レオナルド-晩餐第100 レオナルド-使徒たちの頭部:ユダとペテロ*厚紙にて(以下:101 ヨハネ /102 トマスとヤコブ d./103 ピリポ/104 バルトロマイ/105 ヤコブ d. J./A 106 アンデレ・107 マタイ) 第100で提供したレオナルド 使徒たちの頭部:ユダとペテロの厚紙以下、これらはつまり名高いミラノの絵画、つまり晩餐の、弟子たちの頭部で。、この画はもはやほとんど見ることができず、色彩の痕跡が残っているだけですが、芸術発展のまさにこの大いなる時代において、聖人伝説は、人間の性格を形に仕上げるための基礎を提供しただけであったことを示しています。まさしくレオナルドが「晩餐」のなかで、一人ひとりの人間の性格を研究しているのがわかりますね。そして、彼は人間の性格を個別に研究しようとしたために、非常に長期間、まさにこの驚くべき絵画に取り組みます。ご存じのように、彼はたとえばユダを長期間の仕事の後にも完成できなかったために、依頼者たち、つまり高位聖職者たちを、大いに落胆させました。そして、高位聖職者である僧院長が、絵を完成させるようにと強く迫ったとき、彼はこう言ったのです、「ユダのモデルがいないので、絵を仕上げることができませんでした。けれども今私をせっついておられる僧院長さまがそう見えますので、ユダとして座っていただけますよ。いやはやさぞすばらしいモデルにおなりでしょう」と。記:レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐/The Last Supper Leonardo」は、1495年から1498年にかけて制作された壁画です。イエス・キリストが十字架に磔にされて処刑される前に、12人の弟子たちと開いた食事会を描いた作品で、「モナリザの微笑」と並び美術史に残る傑作と言われます。「最後の晩餐」は、修道院の食堂の壁に描かれていることから、この建物の運命とは切っても切れない関係となり、今日世界遺産となっています。「最後の晩餐」は、ダ・ヴィンチが使用した新しい技法や遠近法と光の利用など、革新的なアイデアが詰まっているという点で、特に評価されています。また、世界最多の登録数を誇るイタリアの世界遺産のなかでも、唯一特定の画家の名を含むものであり、西洋文化におけるレオナルドの存在の大きさを感じさせる作品でもあります。「最後の晩餐」は、独自的な絵画技法で制作されたことでも有名です。西洋絵画では伝統的に「フレスコ画」と呼ばれる技法が用いられてきましたが、ダ・ヴィンチはフレスコ技法ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描いており痛みやすいことが難となります。また、絵画が置かれた劣悪な環境も、損傷が激しい理由のひとつです。最後の晩餐が描かれた部屋は食堂として使われていたため、食べ物の湿気や湯気などに見舞われました。1495年に着手し、約3年かけて「最後の晩餐」を完成させました。遅筆で知られるダ・ヴィンチですが、彼にしては速いペースで制作したと言われています。第99:レオナルド-晩餐第100:レオナルド-使徒たちの頭部/ユダとペテロ記:「レオナルド 使徒たちの頭部:ユダとペテロ」は、ミラノにある名高い絵画「晩餐」の弟子たちの頭部を表しています。「最後の晩餐」では、ユダはイエスを敵視していたユダヤの祭司長たちに、イエスを売り渡す引き受けをしています。ユダは13番目に席に着き、後ろの2人の話に気を取られ、イエス・キリストが取ろうとしているパンと同じものに手を伸ばしています。また、ユダは右手にキリストを裏切った報酬である、銀貨30枚が入った袋を握っています。レオナルドは、裏切り者のユダの顔をどう描くかで迷っていたようです。キリストとユダの頭部が最後まで描けずに残っていたとも言われています。第101以下 ヨハネ・102 トマスとヤコブd・103 ピリポ・104 バルトロマイ・105 ヤコブd. J,A・106 アンデレ・107 マタイ哲学・思想ランキング