カテゴリ:哲学
また例によって勝手な解釈をしていこうと思うのですが・・・ 久しぶりにヘルメス哲学です。 以前も似たような話は書いた気もしますが、ヘルメス哲学のキバリオンの格言「上なるものがごとく下に、下なるものがごとく上に」の言葉の意味するところが私達人間の認知機能のことを行っているのではないか?という事を最近、また改めて思うことがあったのです。 というのも最近ある本に出会ったのですが、それは 著:酒井邦嘉氏「言語の脳科学」です。 この本によると私達の言語というものは、認知機能の中で一番上位にあるらしく、さらに私達の認知のしかたには感覚器官から脳へ情報を伝えるというボトムアップという方法と、思考したことを末端の手足等に伝え世界と関わるというようなトップダウンという2つの方式があり、それぞれボトムアップからは最後に行き着くのが言語で情報を表現するということになり、トップダウンの方法では言語が一番最初に機能するのだそうです。 これはまさに「上なるものがごとく下に、下なるものがごとく上に」という言葉にピッタリの現象ではないでしょうか? 更に言うなら、去年購入しましたエメラルド・タブレットの原著には「言葉こそがすべての鍵である」というようなことが書いてあったことからも想像に難くないのではないかと思うのです。(エメラルド・タブレットに関してはヘルメス哲学の原著ともいうべき書物のことです) 以上のことからヘルメス哲学とはやはり哲学というものであって、それは一つの世界の捉え方というべきものだと思われます。 しかし、それは単なる個人の価値観(世界観)というものを超えた人間が持つ認知機能を捉えたものだったのではないか?そしてもちろん、もしヘルメス哲学が我々人間の認知の仕方についての定式ならば、この世界の物理学や天文学の基礎になったというのも納得できるのではないでしょうか? というのも認知機能を記述したということは私達人間が世界を見るため(経験するため)のベースができているわけであり、その枠外で私達が世界を認識することはあり得ないからです。 以上、最近またふと、思ったことでした。
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Last updated
2016/01/27 11:18:18 PM
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