旅もいよいよフィナーレ。リヨンの国立歌劇場で、このシーズンから首席指揮者に就任した大野和士さんの指揮で、「ルル」のプレミエを観ました。
この劇場に入ったのは初めて。有名な建築家が設計したそうで、伝統的な建物とモダンな設計を合体させ、話題になった建物らしいのですが、
歴史的建造物を生かしたファサードに、かまぼこ型の屋根が乗っかった外観はともかく、内部は残念ながら?印。
黒を基調としたロビーやフォワイエは(古い建物の空間も一部残してはいるのですが)、流行遅れのナイトクラブのようだし、やはり黒一色の劇場内も、大きさ(1000席くらい?)の割に、天井がやたら高くて落ち着かない。
床が金属むき出しなのも、同様です。
フォワイエと場内が、いきなりつながっているのも、抵抗がありました。
考えてみたら、新国にせよスカラ座にせよ、フォワイエと劇場は、階段や廊下、そこまで行かなくてもちょっとしたスペースでつながっているのです。その「間」って、大事なんですね。
レストラン・バーは地下にありましたが、テーブルの置かれた食事スペースを、古代劇場よろしく、階段式のベンチが取り囲んでいるという設計。劇場のなかの劇場?あまり、しゃれにはなりません。
とまれ、席に向かってびっくり。売れっ子評論家のK氏が、隣の席にいるではないですか。
若い世代を中心に、絶大な支持を集めている人気評論家です。
実は彼とは以前、大学で一緒だったことがあり、話がはずみました。
ちなみに、この劇場についての彼の意見は、
「80年代にセゾン系で流行したような感じ」
言いえて妙。さすがに、いいところを突いています。
外回りの悪口が長くなりましたが、中身(公演)は、すばらしいものでした。
演出(ペーター・シュタイン)は、ごくごくまっとうで、「ト書きに忠実」(K氏)なのだろうな、という感じで、装置と演技で場面も状況もきちんと説明してくれ、「ルル」というオペラにさほどなじみのない私にとってはすこぶる好都合でしたし、
作品の下衆な部分を和らげてくれる美しさがあったのも、ラッキーでした。
それにしても、(「ヴォツェック」よりはましですが)、ならず者ばかりが出てくるオペラなのではありますが・・・
歌手のなかでは、タイトルロールを歌ったLaura Aikin が出色。
「この役を得意にして、あちこちで歌っている」(K氏)ことに深くうなずいてしまうくらい、役をものにしているという感じでした。
ものすごい美人、というわけではありませんが、(声も含めて)整った冷たさと白光のようなオーラがあり、ルルという女性の魔力が、説得力を持って迫ってきました。
テクニックにも隙がなく(あの膨大なせりふ!を憶えるだけでもたいへん・・・)、安心して聴けたのもありがたかった。
けれど、「「ルル」の音楽って、美しい」と(たぶん)初めて思えたのは、おそらくオーケストラの力でしょう。
鋭利な美しさのあちこちににじむ、けだるい甘さ。
その魅力を、マエストロ大野指揮するオーケストラは、過剰に怒鳴りまわることなく教えてくれました。
カーテンコールでもマエストロに対する拍手はひときわ大きく、この町のオペラファンに信頼されているようすが伝わってきました。
ちなみにここの聴衆は、プレミエでもごくラフ。町の感じが分かります。
終演後は、K氏について、地下のレストラン・バーで開かれたプレス関係者のパーティへ。
出演者一同も現れ、ワクワクのひと時を過ごすことができました。
マエストロにもご挨拶することができ、感激。
大野さん、以前はちょっと童顔(?失礼!)だった印象がありますが、近年は精悍さが加わって、ますますカッコよくなられました。
奥さまもとてもきれいな、感じのいい方で、お似合いの素敵なカップルです。
パリ在住のジャーナリストとも知り合い、4時間近い「ルル」の長丁場の緊張はどこへやら、旅の最後の夜は日付の変り目も知らずに更けていったのでした。
劇場は生き物です。
どの町の劇場にも、それぞれの顔があり、表情があります。
それは、その町とは切り離せない何かなのです。
当然のことですが、それは、中に入って、公演に接してみなければ分からない。
この町のように、ごくふつうの市民が来ている劇場もあれば、ザルツブルクのように、着飾った部外者が来ている劇場もあります。
個人的には、やはり前者のほうが好きです。劇場を通じてその町の顔が見える、これこそ、旅先オペラの醍醐味といえるでしょう。
だから、オペラはやめられない。
いつまでか分からないけれど、オペラを通じて何かを感じる旅を、できるかぎり続けていきたいと、今回も強く思ったのでした。