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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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February 19, 2012
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 今月、一番楽しみにしていた、二期会の「ナブッコ」。 

 とうとう3公演とも通い詰めてしまいました。

 最終日の今日は、オケはやや疲れた感じもあったものの、指揮に慣れてきたという点では一番で、その点では音楽により密着していて聴き応えがあったと思います。

 バッティストーニの、ドライブ感があり、かつなめらかで爽快な指揮に魅せられたという声は3日間を通じで多数あり、ブレイクの予感がしました。

 今回の招聘が決まった時点では、日本ではまるで無名でしたから、それで直前はかなり盛り上がってきたのは、関係者の方々の努力もですが、本人の力がやはり図抜けていたと思わざるを得ません。

 彼も含めて、最近、ヴェルディのオペラの演奏で感心するのは、歌手よりむしろ指揮者です。

 今回の「ナブッコ」、序曲からブラボーが出ており、そのことで驚いた、という意見も見かけましたが、私に言わせれば、「ナブッコ」でいい演奏なら、序曲でブラボーが出るのは当然です。 

 これまでも、ジェノヴァできいたフリッツァ、パルマで聴いたマリオッティなど、「ナブッコ」のわくわくする演奏に接したときは、序曲でいつもブラボーが飛んでいました。

 フリッツァもマリオッティも、間もなく日本にお目見えして、期待にたがわない演奏を聴くことができました。

 ベルカントに優秀な歌手が集まり、ヴェルディの歌手が払底している今、こういう指揮者に、ヴェルディ演奏を担ってほしいと切に思います。

 そして、やはり、イタリア人がいい。それも、生きのいい若いひとがいるのが頼もしい。ちょっと上の世代で、メトやウィーンによく出ているアルミリアートあたりより、若い世代のフリッツァ、ルイゾッティ、マリオッティ、バッティストーニのほうがぐんといいです。

 この国際化時代に、イタリア人にこだわるなんて、と批判されるかもしれません。

 けれど今回つくづく思ったのは、「ナブッコ」のような作品は、日本人にはなかなか難しいということです。

 シンプルでストレートで、それだけに演奏者の度量が試される作品だからです。思い切りのよさが必要。合唱にしても、合わせることを気にするより、まずひとりひとりが出て行く胆力。それでないと、音楽が生きません。それを引っ張る力として指揮者は重要ですが、この音楽が要求する思い切りのよさ、ユニゾンをぐいぐい押せる臆面のなさ、という性格は、ひょっとしたら日本人からはとても遠いところにあるのではないでしょうか。知性(実際は必要なのですが。ただ威勢がいいだけではこれまたつまらなくなってしまうので、1音1音にあるドラマの濃さをちゃんと把握できる、読める知性ですね)を越えた感覚的なものがどうしても必要です。その点、ロッシーニのほうがある意味知的といえるでしょう。

 「ナブッコ」が日本人には難しいかも、と思ったのは、幕間で立ち話をした、いわゆる評論家や(主催者も含めた)業界?の方々の反応からも感じました。

 異口同音に、こういう音楽は「単純だから」というのです。ちょっと、戸惑いと、「つまらない」という色をにじませた口調で。

 単純?譜面面が、ということでしょうか。だったら、単純というよりシンプルというべきでしょう。音楽の密度が薄い訳ではありませんから。音符が少ないから、音楽が単純、とはいえません。そんなことを言い出したら、リヒャルトシュトラウスよりモーツアルトのほうが単純、ということになってしまいますよね。それは、違うでしょう。シンプルだからこそ、雄弁なのです。それはモーツァルトとヴェルディの共通点です。(私はいつも、ヴェルディの音楽のような、シンプルで簡潔だけれど雄弁な文章を書きたい、と願っています。理屈っぽくてまわりくどくてながながとした文章は死んでも書きたくありません)

  よく知られているように、ヴェルディ第3作目のオペラである「ナブッコ」は、初演の時大成功を収めました。それは「リソルジメント」の風潮とあったから、と長い間言われてきました。けれど最近の研究では、そうではないらしいことがわかっています(詳しくは、今回のプログラムの作品解説に書かせていただいたのでご参照ください)。ヴェルディはまったく政治的な人間ではありませんでした。だって「ナブッコ』が敵地のオーストリアで初演されたとき、嬉々として指揮に出かけているのですから。統一後に、「ナブッコ」にまつわるエピソードも含めて、彼の存在が政府の思惑から神話化されてしまったのです。彼も、それを承知していました。

  けれど、初演が成功したことは、間違いのないことです。その理由は、やはり「ナブッコ」の音楽にあったと私は思っています(初演歌手の力で成功したという意見もありますが、再演のとき彼らがほとんど代わったのにもかかわらず、大ヒットしたのですから)。前例のない大胆さ、わかりやすさの新鮮な魅力。そのよさを「単純」と片付けてしまう感覚のほうが、私に言わせれば単純です。

  「音符が多い方が面白い」という感覚があるうちは、日本人に「ナブッコ」は無理かもしれない。

 生意気ながら、そう思わされた3日間でした。 

  

  

 






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最終更新日  February 20, 2012 12:22:08 PM


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