3314091 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
February 16, 2015
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

 このブログで新年早々とりあげた、テオドール・クルレンツィス指揮「フィガロの結婚」。

 先日、「モーツアルティアン・フェライン」という愛好会にお招きいただいてお話をさせていただく機会があったのですが、このディスクに刺激されて、20世紀半ば以来の「フィガロの結婚」の演奏の変遷とバロック・オペラの復活、というテーマを選ばせていただきました。クルレンツィスの「フィガロ」のような演奏(もちろんピリオド楽器)が実現した背景には、バロック・オペラの復活があることを無視する訳にはいかない、と思ったからです。

 バロック・オペラとの関連を考えついた最大の理由は、歌手の起用にあります。ご存知の方も多いように、ピリオド楽器による演奏自体は、20世紀の後半を通じてさかんになってきたわけですが、ノンヴィブラートに代表される歌唱法の復活は、楽器の演奏法に比べて遅れました。本格的になってきたのは90年代以降かと思いますが、その影響がいちばんはっきりしているのが、ヘンデルをはじめとするバロックオペラの世界ではないでしょうか。1970年代のベルリンではバス歌手が5人!起用されていた(つまり音域を下げて歌われていた)「ジューリオ・チェーザレ」が、2012年のザルツブルクでは4人のカウンターテノール!が起用されていたように。

  今回は、ヘンデルに関しては、「セルセ」を2種類、1980年代にイングリッシュ・ナショナル・オペラで収録されたものと、2000年にドレスデンで収録された、クリストフ・ルセ指揮、ル・タラン・リリク(ピリオド楽器)のものを比べましたが、演奏法も唱法も様変わり、ということを実感しました。(そういえば、ヘンデルのオペラを初めて映像で見た時は、レーザーディスクで、イングリッシュナショナルオペラのものだったことを思い出しました。。。)

 そのような変化は、モーツァルトオペラの演奏にも反映されていると思います。

 クルレンツィスの「フィガロ」では、バロック・オペラのプリマドンナとして活躍を続けるドイツのソプラノ、ジモーネ・ケルメスが伯爵夫人を歌っています。今回、いろいろ引っぱり出して聴いていて、演奏がどれだけ変ったかを象徴する好例が、1950年のカラヤン盤でのシュヴァルツコプフの伯爵夫人と、2013年のクルレンツィス盤のケルメスの伯爵夫人であるように思ええました。もちろん指揮者(カラヤン、クルレンツィス)の意向であるわけですが。 威厳のある、ボリュームも含めて堂々と「歌い上げる」シュヴァルツコプフ、透き通ったノン・ヴィブラートの声が自然に湧き出て、その声が透明度を保ったまま、語るように歌いつつ、繊細なプリズムのように細やかな色彩、表情を浮かべるケルメス。

 古楽分野のプリマが「フィガロ」に起用された先例は、2003年のヤーコプス盤です。ここでは、やはりバロック・オペラのプリマであるヴェロニク・ジャンス(こちらはフランス人です)が伯爵夫人を歌っています。ヤーコプス自身が歌手だということも、キャストの選択にあたって物を言っているのではないでしょうか。ヤーコプス盤はグラミー賞も取った名盤の誉れ高いディスクですが、歌手の起用以外でも、通奏低音のフォルテピアノをはじめとする即興の幅広さなど、クルレンツィス盤とかなり共通する部分が見られます。これは2000年代の名盤といえましょう。バロック音楽が対話的である(これは次に書くアーノンクールが著書でも言っていることですが)という本質を反映して、レチタティーヴォと歌の部分の落差が少なくなっている点でも、クルレンツィス盤を先駆けています。

 もちろんそもそもの先駆けは、アーノンクールら古楽の先達から発しているのですが。 

 そのアーノンクールが1990年代にチューリヒで録音した映像では、伯爵夫人をエヴァ・メイが歌っています。これも、それまでと比べると画期的だったといえましょう。メイといえばコロラトゥーラ・ソプラノで、軽やかでスタイリッシュですから、これもまた、半世紀近く前のカラヤン盤で歌っていたシュヴァルツコプフ(周知のように得意な役が「ばらの騎士」の元帥夫人)のような威厳のある伯爵夫人とは様変わりです。

 以前も書きましたが、クルレンツィスが自分のディスクのインタビューで語っているように、カラヤン盤(をはじめとする往年の名盤)は

 「すべて均等に美しい」

 ことをめざす美学です。むらなくヴィブラートがかかっているような。

 対してクルレンツィスは、デュナーミク、テンポをはじめ、コントラストを強調する。それは、当時の楽器の性能にもよるのだ、と彼は語っています。当時の楽器は、むらなくレガートで演奏するようにはできていなかった。

  そしてもうひとつ、クルレンツィスの演奏を貫いているのが、(彼いわく)作品が成立した「時代」を投影した「革命的」な精神です。(たしかにそう言うにふさわしい、過激で野心的な演奏です)。けれど、それもこれも、ピリオド奏法や歌唱法の復活があって可能になったことだといえましょう。彼は、「フィガロ」の演奏に理想的なオーケストラは18世紀前半のそれであり、自分たちは「歴史を遡って」演奏した、と語っています。ノンヴィブラートに代表される当時の歌唱法は、ピリオド楽器の素朴な音色、くっきりしたデュナーミクと自然に溶け合います。この歌唱法の復活があって、ひとつのスタイルがより完璧に近づいた。それは、今バロック・オペラがさかんになっていることと連携しています。この機会にいろいろなディスクを見比べ、聴き比べて行く中で、そのことが確認できたのは幸いでした。

 (とはいえ、不勉強ですので、見落としていることも色々あるかと思います。不備な点などありましたらお教えいただければ幸いです。)

 演奏は毎年、毎月、刻々と変っている。だから、面白い。やっぱりオペラ(そしてクラシック音楽)は、やめられそうにありません。

  

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  February 17, 2015 12:05:15 PM


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

プロフィール

CasaHIRO

CasaHIRO

フリーページ

コメント新着

バックナンバー

May , 2024

© Rakuten Group, Inc.