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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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September 21, 2015
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 ロイヤルオペラの来日公演、「ドン・ジョヴァンニ」の最終日に行きました。

 超豪華なキャストが顔を揃えて、楽しみにしていた公演でした。何しろ主役に当代を代表するドン・ジョヴァンニ歌いのひとりであるダルカンジェロ、男声は他にヴィラゾン(オッターヴィオ)、エスポージト(レポレッロ)、アチェト(騎士長)、女声陣はエルヴィーラにこれまた当代を代表するメッゾソプラノのディドナート、他の2人は新人ですが、これからの期待株であるシャギムラトヴァ(ドンナ・アンナ)、レージネヴァ(ツェルリーナ)。現地でもこれほどのキャストではなかったようです。

 オペラ公演の前日、「ドン・ジョヴァンニ」に出演するキャストがほぼ顔を揃え、モーツアルトのコンサート・アリアと「レクイエム」を上演したこれまた豪華なガラ・コンサートのようなものが、別の主催者であったのですが、この時はちょっと歌手のメンバーがセーブ気味?のようなところもあり、やや不完全燃焼(ディドナートは別格でしたが)。しかしオペラはさすがに水準の高いものでした。決定的な「穴」がなかった。唯一、「不調」と伝えられた(2回目の公演はキャンセルしたとか。そして前日のガラコンサートでも、「レクイエム」は降板していました)ヴィラゾンは、やはりちょっと危なっかしかったですが。声の切り替えがうまくいかなくて、声がひっくり返ってしまい、高音が出ないのです。声を振り絞るようにして歌っているのが気の毒でした。ただ、ステージプレゼントとか、テノールらしい声の魅力などは十二分にあるので、惹きつけるものはあります。彼はもともとかなり危ないと思っていたので(自己流で歌っている感じ)、一度発声を見直したらいいのではないかと生意気にも思ってしまいました。以前、シラクーザがやはり不調に陥ったことがあり、その後復活したのですが、あるひとによるといいトレーナーを見つけて修正してもらい、よくなったとのこと。以後シラクーザは安定しています。ヴィラゾンにもそのような方がいないものでしょうか。華のある歌手なので、もったいないと感じます。

 いきなり文句から始まってしまって恐縮ですが(苦笑)、他の歌い手は総じて期待通りのできばえでした。とくに3人の女性については、個人的にもっている3人のイメージに応えてくれたようなキャスティングで、嬉しくなりました。演劇的にも役柄にはまっていた。適材適所ですね。

 何と言っても光っていたのはディドナート。女性らしくて奥行きがあり、豊かな色合いに富んだ滋味のある声が、エルヴィーラの揺れる感情を聴き手に伝えて雄弁です。 このオペラの女性主役はエルヴィーラだと思っているので(このことについては後で書きます)、今回、この役にディドナートのような大物を配してくれてとても嬉しかった。

 アンナ役のシャギムラトヴァは初めて聴きましたが、なるほど大型新人だと思いました。みずみずしくてヴォリュームがあり、劇的な表情をこめることができる、聴きでのある声。アンナはお嫁入り前のお嬢さんですから、やはり若い方がいい。アンナのちょっと無鉄砲な感じもよく出ていました。 

 ツェルリーナ役のレージネヴァ。3月の県立音楽堂「メッセニアの神託」(ヴィヴァルディ)で、初めて生に接してその超絶技巧に仰天しましたが、今回コンサートでも聴かせてくれたモーツアルト、とくにツェルリーナのようなスーブレット的な役になると、アルトのような色合いの声にやや違和感を感じないでもありません。とはいえ得意の技術を生かして装飾音を入れたり、柔らかでむらのないフレージングにうっとりさせてくれました。20代の若さ、そして小柄で動きがすばやいので、演技の面ではツェルリーナはぴったりです。

 男声陣で光っていたのは、レポレッロ役のエスポージト。美声に加え、軽妙で機転のきいた声、演技も同様です。演技と歌が一体になっていると言う点では男声陣のなかで一番だったのではないでしょうか。

 ダルカンジェロもよかったのですが、演出のせいで魅力がやや減じられてしまったように思います。

 そう、今回の公演の不満は、カスパー・ホルテンの演出。はやりの「プロジェクションマッピング」で、ドン・ジョヴァンニが征服した女性の名前をずらずら投影したり、建物の壁に見立てたシンプルな舞台装置をメインに、その中央を可動式にしていろいろな場面に対応するのはいいのですが、結末の六重唱をカットしたのはいただけません(一番最後のcoroの部分だけは残しましたが)。ドン・ジョヴァンニの地獄落ちが舞台で演じられないのもおかしい。こうなった理由はドン・ジョヴァンニという人物に対する解釈から出ているようで、「ドン・ジョヴァンニは現実逃避のために女性を征服している。そういう人物にとって一番怖いのは地獄より孤独」だと、プログラムにありました。だから皆が彼から去って行ってしまう結末にしたのだと。

 でも、それって、やはり音楽を無視しています。あの凄絶な地獄落ちの場面の音楽が無駄になるのはモーツアルトに失礼ですよね。最後の六重唱だって、19世紀にはよくカットされたようですが、今はそういう時代でもないし。18世紀当時、ハッピーエンドにもっていくのは慣習的だったとはいえ、モーツァルトの音楽(とダポンテのせりふ)には、ちゃんとドラマを構成している説得力があります。6人はそれぞれ、ドン・ジョヴァンニがいなくなった後の空虚さをかみしめている。それは「ドン・ジョヴァンニ」というドラマの大切な構成要素なのです。

 第2幕では、女性たちはジョヴァンニの幻想のなかで「幽霊」のように扱われているという解釈なのですが、といっても歌手たちが幽霊のなりをするわけではなく、幽霊のような白装束の女性たちをさまよわせるという趣向。うーん、どうかなあ。あまりリアルではなかったですね。

 そもそも、ドン・ジョヴァンニという人物を、現実逃避型のそれも神経症のようなタイプにするのは、やはりモーツアルトの音楽に逆らっているとしか思えません。「シャンパンの歌」の疾走する豪胆さは、まさにジョヴァンニそのものではないでしょうか(ホルテンは、ジョヴァンニには大したあアリアがないと言っており、そういう意見のひとは少なくないようですが、でも「シャンパンの歌」は私には説得力のある歌だと思えます)。チェーザレ・シエピの歌う「シャンパンの歌」は、まさに疾走するフェロモンそのものでした。 

 ホルテンという演出家、新国立劇場の「ルサルカ」も演出していましたが、どうも幻想的な作風?が得意なよう。でも、「ドン・ジョヴァンニ」を幻想的にしてどうなるのかなあ。

 ロイヤルオペラの顔、アントーニオ・パッパーノの指揮は、ピリオド風で軽快、颯爽とした「ドン・ジョヴァンニ」。歌手をよくみて、オーケストラを歌手につけるのがうまいなあという指揮でした。フォルテピアノも彼が弾きましたが、レチタティーヴォでところどころ表情豊かに鳴っていたものの、指揮者が通奏低音を弾くモーツァルトオペラの面白さという点では、6月にドレスデンで聴いた「フィガロの結婚」のマイヤー=ヴェルバのほうがスリリングでしたね。ちょっと安全運転気味な印象でした。

 さて、タイトルを「愛しのエルヴィーラ」としたのは、今回の公演が、くり返しですがエルヴィーラ役に大歌手を持ってきてくれて、我が意を得たり、と思って嬉しくなったからです。

 今の大半の公演では、(今回の演出家もプログラムで「アンナ役が一番面白い」というのですが)ドンナ・アンナがプリマドンナ扱いで一番いい歌手をもってきて、エルヴィーラは二番手です。だから、エルヴィーラが物足りないことが多かった。でも、役柄の面白さ、人間味という点では、アンナよりエルヴィーラのほうが深みがある、と思うのです。舞台に出ている時間も一番長いですしね。アンナにはオッターヴィオ、ツェルリーナにはマゼットというパートナーがいるけれど、エルヴィーラのパートナー(といっていいなら)はジョヴァンニです。2人は対置されている。「ドン・ジョヴァンニ」は「ドランマ・ジョコーゾ dramma giocoso」と題されていますが(「コジ」もそうです)、2人はまさに「こっけいな giocoso」な存在です。こっけいであり、シリアスでもある。このドラマの体現者です。

 エルヴィーラがこっけいなのは、男性を追い回すところにもあるらしい。男性を追い回す女性は、それだけでこっけいな存在なのだという解釈も読みました。たしかに、そうですよね。追いかける女性は男性にとって揶揄されるべき存在なのでしょう。

 けれどそんなエルヴィーラの女の性、突き放されてもちょっと甘い言葉をかけられればへなへなと崩れてしまう哀れさ、女の愛の悲しみを、モーツアルトはなんと表情豊かに描いてくれていることでしょうか。大曲のアリアからまさに「こっけいな」味のある重唱まで、彼女に与えられた音楽はほんとに幅が広いのです。

 これに比べればアンナはやや単調です。もちろん2曲の大アリアはありますが、形式的には似ていますし。(今回の演出家が語っているように)揺れる感情が投影されているとは思いますが、やはりお嬢様の枠からは出られない。

 そう、あと、今回も、冒頭で、アンナとジョヴァンニは関係を持ったような解釈がされていましたが、私はこの説には反対なんです(現在ではかなり一般的な解釈ですけれど)。だって途中で、ツェルリーナを口説こうとしてエルヴィーラにさえぎられて果たせなかったジョヴァンニは、「今日は何もかもうまくいかない」ってぼやくんですよね。それって、ツェルリーナの前もうまくいかなかった、ということではないでしょうか。あと、アンナが、ジョヴァンニを逃さないように「誰か来て!」って叫ぶのも変。ほんとうに関係していたら、人呼んじゃまずいでしょ?と考えたらおかしいでしょうか。まあ、夜這いされたアンナが、優等生の婚約者にはないだろうジョヴァンニのフェロモンに惹きつけられたというのは「あり」だと思いますが。

 登場人物ひとつとっても、さまざまな解釈ができるモーツアルトとダ=ポンテのオペラ。それこそ、「抽象的な音楽とリアルな音楽が同居している」(ロッシーニの神様、アルベルト・ゼッダ氏の言葉)モーツァルト・オペラの、比類のない魅力なのだと思います。

  

  

  

  






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最終更新日  September 21, 2015 09:59:26 PM


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