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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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November 30, 2015
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  なかなかに、衝撃的な体験でした。 

  前列の斜め前にいた男性がやおらたちあがり、周囲を睥睨するように威圧的に、「戦争だ!」と歌い始めたのですから。 

 もちろん、合唱団員だということはすぐわかりました。客席のあちこちから、同じような男女がいっせいにたちあがって歌い始めたのですから。

 ベルリン・ドイツ・オペラ「アイーダ」。シーズン開幕後2つ目の新制作。ベルリン出身、30代の気鋭の演出家、ベネディクト・フォン・ペータースによるプロダクションです。

 変わったプロダクションらしい、というのはきいていました。「オーケストラが舞台に上げられちゃうらしんだよ」ときいたのは、指揮をとったバッティストーニからの事前情報。そう、まあ、彼の指揮だから、というのが、このプロダクションを見に来た一番の理由だったのですが。

  終わってみると、なかなかエキサイティングな体験でした。

 ドイツ人、ないしドイツ語圏で活躍する演出家による、いわゆる「読み替え」あるいは「読み直し」、あるいはレジーテアター系の「アイーダ」というのは何度か体験があります。そのはじめは、2002年にハノーバーで見たアンドレアス・ホモキのプロダクションでは、アイーダは典型的な掃除婦のようになっており、アイーダとアムネリスが雑巾をぶつけあってけんかをし、「凱旋の場」ではマフィアのような一団が乱痴気騒ぎ。その間をアイーダが、スパークリングワインが詰め込まれたショッピングカートを押して右往左往していました。

 このホモキのプロダクションは好きになれなかったのですが、その後、日本で披露された、ペーター・コンヴィチュニーの「アイーダ」(グラーツのプロダクション)は、インパクトがありました。「アイーダ」を室内的なドラマに解釈し、「凱旋の場」では勝利側のアムネリスやランフィスがパーティをやっていて、凱旋行進曲は外から聞こえて来る。戦勝将軍のラダメスは、戦場の恐れを知った人間として、血まみれで青い顔をして登場。最後の心中のシーンでは、2人は舞台奥の夜景のなかへと消えて行きました。これはホモキより前に制作されたプロダクションで、これを見て、ドイツ語圏の「アイーダ」に、凱旋の場らしい凱旋の場が登場しなくなった理由がよくわかりました。あれを見せられてしまうと、今までのように昔の焼き直しというわけにはいかないだろうな、と思ったのです。

 開演前にホワイエで開催された、ドラマトゥルグの女性によるプレトークによると、ペータースは、楽譜を読み込み、作品の「核」となる「アーキテクチャー」を取り出し、それを具現化することをポリシーにしているのだそう。「アイーダ」の場合、満たされない憧れを抱く3人の主役と、彼らを抑圧する権力の塊が対置されます。アイーダは祖国に、ラダメスはアイーダに、アムネリスはラダメスに、それぞれかなわない憧れを抱く。なかでもその、現実逃避にも似た憧れの気持ちが強いのがラダメス、というのがペータースの考え。アイーダは、彼の夢見る、現実には存在しない理想の恋人です。

 なので今回の主役は「ラダメス」でした。ペータースによれば、ラダメスはヴェルディの自画像でもあるという。うまくいかない現実(イタリア統一後の苦い現実など)からの逃避。対して3人のなかで一番リアリストなのは、アムネリスです。 

 夢見るラダメスを強調する今回の演出では、ラダメスとアムネリスは夫婦です。ジーンズ姿のラダメスと、お手伝いさんかとみまがうようなあまりにも日常的なワンピースをまとったアムネリスに対し、ラダメスのファンタジーのなかに生きる理想の女性アイーダは、ウェディングドレスのような白いドレスで現れる。彼女が実在しない証拠に、ラダメスは同じ白いドレスを手にして舞台上にいるのです。舞台の上にはスクリーンも吊り下げられており、舞台上にあるテーブルの上が映るという趣向。テーブルの上のものはいろいろ変わりますが、開幕時にはラダメスが(おそらく行ってみたいと)夢見るエジプトのガイド記事が映し出されていました。 

 「このプロダクションは「アイーダ」じゃなくて「ラダメス」っていう名前なんだよ」とバッティストーニは言っていたのですが、その言葉の通り、ラダメスは台本に書かれていない部分でもいつも舞台上にいました。第2幕第1場の、2人の女性主役が喧嘩をする場面でもずっといて、はらはらしながらみまもっているというありさま。

 第2幕第2場、有名な「凱旋の場」では、現実を見ようとしないラダメスに苛立つアムネリスが、テーブルの上に置かれた=スクリーンに映し出された難民や戦争の記事を切り取って、彼の胸に貼り付けます。凱旋行進曲やバレエ音楽はその過程。政治的なメッセージが欠かせないのは、ドイツの「レジーテアター」の宿命ですが、うーん、行進曲まではまだしも、バレエ音楽がこの手のパントマイムというのはちょっと間が持ちません。

 そう、この手の読み替えもしくは読み込みアイーダで、「間が持たない」というのはだいたいバレエ音楽です。楽譜に「バレエ」と書いてある音楽を、せりふもない演技だけで乗り切るのは厳しい。

 一方、今回の演出で斬新かつ度肝を抜かれ、また感服したのは、演出における「音響」に対する関心です。「音響」を考えぬくのはペータースというひとの特徴らしいのですが、今回は、弱い個人とマッシヴな権力の対立〜これは「アイーダ」の根本的なテーマでもあります〜を表現するために、3人の主役を舞台上におき、合唱や、国王、ランフィスなど権力側のソリストは客席に置くという配置。さらに、バッティストーニが言っていたように、オーケストラも舞台上に置かれていましたが、舞台の奥、紗幕の向こう側に陣取っていました。3人の主役は、オケピットをふさいで作られた舞台の上で歌い、演技していた。舞台上のオーケストラのスペースを取るためもあるのでしょうが、客席に近いことはたしかです。花道のようなものも作られていましたので。

 演出のコンセプトはそれなりに面白く、理解できましたが、音響的な効果でいえば、今回のプロダクションは最高でした。客席にちりばめられた合唱団。2階席に陣取り、威圧的な声を降らせるランフィスや国王。その、権力側の発する音響の塊と、舞台上の3人の心理ドラマの対比。これは、迫力でした。オペラのなかに取り込まれる感覚がありました。観客をプロダクションに巻き込んでしまう。それもまた、ペータースの狙いだったようです。

  個人的には、バレエ音楽に加えてもうひとつの不満は、アムネリスとラダメスを夫婦にし、アイーダを憧れの恋人にすると、当時のヴェルディ夫妻とソプラノ歌手のストルツとの関係がもろ、に投影されてしまうことでした。そこまでやらなくとも、という抵抗感ですね。

 とはいえ、これは、なかなか見ごたえ、聞き応えのあるプロダクションでした。プロダクションの2日目と3日目を観劇したのですが、(初日は演出家が出てくるとブーとブラボーの応酬になったらしい)、2日目は、「凱旋の場」終了後に激しいブーとブラボーの洪水。でも3日目は「ブー」はほぼ消え、「ブラボー」の渦となったのでした。

 「ブラボー」が勝利したのは、音楽的水準がきわめて高かったことが大きいように思います。正直、ドイツ語圏のイタリア・オペラは、歌唱的に「イタリア的」でないことがほとんどなので、あまり期待していなかったのですが、そして今回も、とくに女性2人は今大活躍中の歌手ですが、「イタリア的」な歌唱ではほぼなかったものの、テノールとあわせて主役3人それぞれ力があり、満足でした。白眉はアムネリス役のアンナ・スミルノヴァ。硬めの光沢のある声は、ちょっとあのコッソットを思わせるクリスタルヴォイス。技術も安定し、劇的な表現力も十二分にあります。ラダメス役の韓国のテノール、アルフレード・キムも豊かな、はりのある、良く鳴る声で、技術も確か。声の質も明るく、イタリアものに向いているように思いました。アイーダ役のタチアナ・セルジャンは、ムーティにも重用されているドラマティック・ソプラノですが、力はあるものの、イタリアらしくない、という感触は3人のなかで一番強かったかもしれません。

 とはいえ、音楽的な主役は指揮(とオーケストラ)でした。ふだんのオペラ公演と違い、舞台の上の、それも紗幕で後ろを遮られたオーケストラと、客席のあちこちに散っているソリストをまとめるのはなかなか大変だったと思いますが、「ヴェローナのアレーナよりはまし」とバッティストーニ。この夏アレーナで「アイーダ」を振った経験も役に立ったよう。彼の情熱的な、ダイナミックな、うねるような指揮で、劇場が音の坩堝と化していくさまを目撃するのは迫力でした。 その音楽にどんどん囲まれていくわけですから。それも、飛んだり跳ねたりする指揮姿を見ながら。ふつうのオペラ公演ではこうはいきません。このプロダクション、指揮姿が絵になる指揮者が必要ですね。夏にヴェローナで「アイーダ」を聴いたときより音が厚く、甘美なシーンがより濃厚に感じられたのは、オーケストラの力の差もあるのでしょうか。

 カーテンコールの拍手は熱狂的でした。客席から立ち上がり、舞台に上った合唱団、そして合唱指揮者は、ふだんこんな拍手は受けたことはない、という表情でうれしそう。歌手たちにも熱狂的な喝采。そして指揮者にはひときわ大きく。二度目のカーテンコールでは、指揮者がオーケストラのほうを振り向くと、紗幕がさあと切り落とされてオーケストラの全貌が現れ、客席から歓呼の声があがっていました。

 ドイツ語圏の劇場のイタリアオペラ、とくに「アイーダ」のようなポピュラーな作品や、「マクベス」のようなシェイクスピアものにはえてしてげんなりさせられるのですが、今回の「アイーダ」、音楽的な満足度もくわわり、十二分に楽しめたプロダクションでした。 

  

 

 

 






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最終更新日  November 30, 2015 04:05:11 PM


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