カテゴリ:音楽
2月の「椿姫」を最後に、オペラ公演を休演していた東京二期会が、ベートーヴェンの「フィデリオ」で公演を再開しました。大きなカンパニー、劇場としては、先月の藤原歌劇団「カルメン」に続きます。
「カルメン」は、歌手はフェイスシールドをつけ、オーケストラも舞台にあげるなど、感染症対策を徹底していましたが、「フィデリオ」は少し緩め。オーケストラはピットにいますが、ピットの床を上げ、壁を取り払って「密」を薄めていました。楽団員(東フィル)はほとんどマスクなし。指揮者もマスクなしでした。 舞台には紗幕がかかり、これは演出に加えて感染症対策であることは明らか。とはいえ歌手は、距離は置いているもののフェイスシールドなどはつけず、かなり「ノーマル」に近づいてきた感じです。 「フィデリオ」は、ご存知のようにベートーヴェン唯一のオペラ。そして今年は、ベートーヴェン生誕250年。(これもご存知の方は多いでしょうが)。本当に、このコロナ禍の年にアニバーサリーを迎えた作曲家が、人生において苦闘し続け、輝かしい作品を生み出したベートーヴェンであることは、天の配剤のように感じます。
深作さんは、あの名映画監督、深作欣二さんの御子息。お父様の反骨精神も受け継ぎ、映画や舞台で活躍しています。オペラ演出も手がけ、今回で三本目です。
とても、興味深い演出した。 テーマは「自由 Freiheit」。紗幕には、しばしば、ナチスドイツのユダヤ人収容所に掲げられていた「労働は自由をもたらす Arbeit macht Frei」というスローガンが掲げられますが、この一文の最後に?がついているところがミソ。自由って何?という問いなのでしょう。 それをめぐって繰り広げられるのは、なんと75年間にわたるドイツ(を中心にした)の戦後史です。舞台はナチスドイツの収容所に始まり、ドイツの東西分割、ベルリンの壁の崩壊、同時多発テロ、ISなど、戦後史の重大事件を辿ってゆく。最後の場面は「戦後75年記念式典」です。 そしてその場その場に「壁」が登場します。ベルリンの壁、の崩壊シーンは第一幕のラスト。そして第二幕は、パレスチナの分離壁と、トランプ政権下で作られたアメリカ国境の壁。主人公のフロレスタンは、「壁」に囲まれながら自由を求める抵抗者であり、フロレスタンの命を狙う悪役のピツァロは、「壁」の守り手です。2時間ちょっとのドラマに、戦後史がギュッと凝縮されている。 いろいろな意見はあるでしょう。説明が過ぎる、くど過ぎるといえばそうです。とはいえ、このコンセプトで全体がつらぬかれ、一つの物語がまとまって頭に入ってくる、というのはやはり成功と言っていいのではないでしょうか。音楽と乖離していない証左だと思います。
大植英次さん指揮の東フィルは、歌手を引き立てて落ち着いたペースで進みます。冒頭で演奏されたのは「レオノーレ序曲 第3番」。序曲でナチス時代に設定した無言劇があり、オペラのオチと同じようにレオノーレがフロレスタンを救い出すようになっていましたので、この曲はふさわしく思えました。第二幕の連続するアンサンブルの美しさと劇性、「魔笛」に共通する音楽(「フィデリオ」が「魔笛」に影響を受けたことはよく知られています)や、「フィガロ」に共通する瞬間が、炙り出されたのも収穫でした。
歌手ではロッコ役の妻屋秀和さんが、終始安定感抜群の演唱でうまさを印象づけました。小市民的な表情の豊かさは、長いドイツの劇場生活で培われた部分もあるのでしょうか。レオノーレ役の土屋優子さんは、輝かしくボリュームたっぷりの高音域が際立ち、フロレスタン役の福井敬さんも美声を全開に。ドン・フェルナンド役黒田博さんの威厳も、さすがベテランの味でした。 合唱団が、二期会に加えて藤原歌劇団、新国立劇場合唱団の混成部隊だったのも、日本のオペラ界の再出発に相応しく思えました。
キーワードである「自由Freiheit」の最初のFは、もう一つのキーワードである「喜びFreude」にも共通。さらに主人公、フロレスタンとフィデリオ(レオノーレの男装名)もF。そして深作さんもFなのでした。偶然とはいえ、意味ある一致です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
September 4, 2020 03:49:41 PM
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