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Chaki-tの日記 [全1367件]

2012.02.11楽天プロフィール Add to Google XML

  「今日一日生きて」 

・2.11.土
そうか「高齢化社会によっての年金制度の崩壊」を訴え税金を上げよう上げようとす
るのも政策の一つか?と思うのは捻くれが進んだ僕の考えなのだろうか?
下記の記事で述べられたことは、僕も普段から感じていたことである。
今の60歳と言えばまだまだ若く「さてこれから何をしてやろう」という感じである。
もし80歳が定年とすれば、年金は出す必要が減り、皆が長く所得年金を払うことになる訳だし、景気も上がることに繋がるかもしれない。
とすれば、消費税増税も必要ない。
「定年」と言われるとすごく年取ったように思ってしまうし、社会の制度で高齢者に押しやられて行くものなのかもしれない。
60歳で還暦、77歳で喜寿というのも何百年前の決め事で、これも排除するか、還暦を80歳に変更しなくてはならない。
島崎藤村の小説などでも、50歳の教師が定年を迎えるシーンが出て来る。
明治時代には、何と50歳が定年なのだ。
その教師の言うことや行動は、確かに今の80歳以上である。
政府が打ち出してくる「高齢者」なる決め事は、半世紀古いままなのだろう。
我々は社会的風潮による年齢を自分から取り込んで老けるのではなく、自分の体力の衰えを、または元気さを、自分の秤で感じ取れる前向きな生き方を心がけたいものである。
ということで、僕は今青春真っ只中ということとなる。
ーーーーーーーー
まともな日本に01 「高齢化社会」の間違い
「高齢化社会」とか「超高齢化」とかいう用語があります。60歳、あるいは65歳
以上の人が多い社会を「高齢化社会」というのが一般できですが、この用語はいかに
も視野が狭く、適切な用語ではありません。
なぜ、60歳、65歳以上の人を「高齢者」と言うのかというと、平均寿命が70歳
の頃、年金制度ができ、大家族制が無くなったころの社会を基準にしているからです
。平均寿命が短いのですから、当然、60歳、65歳の人の数は少なく、若い人を基
準にすると「高齢者」と感じられたのでしょう。
でも、かつて中学校を卒業したら勤めに出ていたのに、今は高校全入、大学の進学率
も半分ぐらいになりました。就職の平均年齢は15歳が20歳になっています。また
女性の結婚年齢は20歳ぐらいから30歳になり、35歳を過ぎた出産もそれほど珍
しくない時代です。さらに閉経年齢も明治時代の40歳から50歳代半ばすぎになっ
ています。
つまり年齢とその人の一生という点では、おおよそ1.5倍になっているとしてもそ
れほど間違いでは無いでしょう。今後、平均寿命は21世紀末に95歳から100歳
になるのは間違いありません。そうなると80歳以上が「高齢者」で、定年も80歳
になります。つまり20歳まで教育、20歳から80歳までが仕事、80歳から10
0歳までが引退後の晩年とするのが適当でしょう。
80歳以上の人の数は少し少ないと思いますが、医療費などがかかるので、簡単に予
測すると、人生20年が教育、60年が仕事、20年が晩年ですから、他人の世話に
なるのが40年、自分が稼ぐのが60年ですから、年金ができた頃とあまりかわりま
せん。
それに加えて、女性の職場進出、電子化による労働生産性の向上、社会システムの効
率化などが進みますから、むしろ仕事をする人の負担は「重くなる」のではなく「軽
くなる」と考えられます。増税の必要なし!!
・・・・・・・・・
私のエッセイに「老婆の時間」というのがありますが、縁側でひなたぼっこしている
老婆が家の前の道を忙しく走り去る若い学生を見送って、「ああ、私の人生いも・・
・」と思う情景を書いています。本当はまだまだ人生の時間を楽しめる老婆が、社会
の「常識」に押しやられて人生を諦めているように思われたからです。
老婆でも若い学生でも人生の時間は同じく貴重であり、それを社会的に封殺すること
は良いことではないと思います。
・・・・・・・・・
私がテレビで「50歳以上の男性は意味が無い」と言っているのも同じことで、現在
のような停滞している社会では、比較的年齢が高い人の権力が強くなり、若い時代に
活躍する芽を取られることがあります。仕事をする時間はかつては15歳から55歳
までの40年だったのに、これからは20歳から75歳までの55歳になるのですか
ら、50歳以上の男性は30年の仕事の前半生に区切りをつけて、若い人の人生の時
間を考える方がよいという意味です。
つまり、一見して「老婆の時間」と「50歳以上の男性は意味が無い」というのは矛
盾しているように見えますが、私が言いたいことは「どの人も年齢によらす、同じ価
値を持つ時間を過ごすように日本人全体が考えた方が良い」という意味なのです。
・・・・・・・・・
人間の人生は、若い頃は20年ぐらい自分を鍛えるのに使い、その間に、兵役、ボラ
ンティア、外国生活なども2年ぐらいは経験した方が良いでしょう。でも、若い頃は
長い間、教育を受けるより、少し早めに社会に出た方がよいので、平均はやはり20
歳ぐらいというところでしょう。
一方、仕事を辞めて引退が今のように65歳とすると、100歳までの35年、する
ことがないのはやはり歪んだ人生のように思います。そこで80歳を定年にすること
になりますが、体力的には今の70歳が100年後の80歳になるでしょう。
明治の人の随筆などを読むと、当時の50歳の人は今の80歳と同じぐらいの体力の
衰えを感じています。人間のように集団性の動物は全体の動きに合わせて個人の体力
まで変わるのです。
今、消費税率を上げるために、「高齢化社会」が問題になっていますが、私はその前
に、日本会の50年後、100年後のイメージを作るべきでしょう。1960年に始
まった年金を考えた社会はあまりに「その時」だけを視野に入れていたので、破綻を
しました。今度、改めて日本国民の人生を考えるときには、「高齢化社会」という言
葉を使わないことが大切と思います。
従って、「高齢化社会がきて大変になる」と暗くなるのではなく、「長く人生を楽し
むことができるようになるぞ!」と考え、「どんなに寿命が延びても高齢化にはなら
ない」とするのがまともな日本にする第一歩を思います。
(平成24年2月9日)
「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.418-(9:16).mp3」をダウンロード
武田邦彦



最終更新日時 2012.02.12 09:07:59
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2012.02.10

  「今日一日生きて」

・2.10.金
確かにそう言われてみれば、なんとなく常識として世間に伝えられていることで、実は確固とした裏付けのないことがたくさんあるのかもしれない。
ここで例として挙げられた「野菜を食べると癌になりにくい」という常識が、そのような想像で言い伝えられているという人間の群集性というか、情報社会の疑わない流れというか、それが野菜のことぐらいだといいが、もっと危険な様々なことに反映することを危惧しているのだ。
「なんとなくそうかもしれない」という事柄にも「実際にはよく分っていないけれど」と付け加えることが大事だということだ。
でも話を面白くしようとすれば、断定した方がドラマチックに会話を楽しめるから、とんでもないことになる訳だろう。
しかしその勘違いが、教科書に潜り込むことは防がねばならない。
「学問」というものの正しい定義を常に見詰めなおすことは、我々にとっての「社会」という群集の中で生きるルールとも関連する問題なのかもしれない。
極端な例だが、「王のために喜んで命を捧げる」もしくは「彼女は魔女だと誰かが言ったので、皆で火あぶりにする」というような群集性の流れも、その先に待ち構えている危険であると常々思う。

ーーーーーーー
知の侮辱(7)・・・「野菜と健康」に関する知の偽装
福島の被曝の問題が出てくると日本の医療関係者、特に国立のガン研究の医師たちは
一斉に「被曝はたいしたことはない。それより野菜の不足の方が発がんには危険だ」
と奇妙なことを言い出しました。
野菜とガンの関係については、今から20年ほど前から研究が始まり、初期のころに
は次の表にあるようにどちらかというと「野菜はガンを防ぐ」という研究報告が多か
ったのです。
それを受けて、マスコミなどを中心として「野菜を食べよう!」という運動がはじま
りました。でも、もともと人間のガンの発生というのは非常に複雑なことなので、「
野菜とガン」などという簡単な関係はおそらく存在しないのではないかと思われます

その証拠に、その後、調査人数が増えてくると必ずしも野菜不足がガンをもたらさな
いという大規模な調査が2005年以後は増えています。
ある程度、学問や科学というものを研究した人ならわかることですが、ガンというの
は非常に複雑な反応ですし、一口に「野菜」といっても内容はさまざまですし、また
「野菜を食べたので、相対的に食事が減り、その中に発がん性のものがあった」とい
うこともあり、その場合は「野菜」というのは要因の一つにはなりません。
だから、仮に初期の研究のように「野菜を多く食べる人にガンが少ない」と言うこと
が判っても、それ故に「野菜はガンを防止する」ということにはならないということ
です。また、「それでも事実、ガンが少ないのだから」というのも学問ではなく、最
近の野菜の研究の中には、カリフォルニア等の20万人の調査で、野菜をとると病気
の比率が高いという研究もあります。
・・・・・・・・・
私は科学者として、少し別の見方をしています。先回、「相関関係」だけでは何の結
論もでないことを示しましたが、科学では「因果関係」についても常に同時に考えて
おかなければなりません。
人間は雑食性の動物ですが、主として「肉、穀類(実)」などを食べる動物で、「草
」の類はそれほど取りません。人間が野菜を食べるようになったのは農耕文化に変わ
ってからで、日本ではさらに10世紀から15世紀になってから意識的に野菜をたべ
るようになってきました。
草食動物ではない人間は草は消化できませんが、コメ、麦、イモ、豆、リンゴのよう
な「実(種)」は主食や副食として積極的に食べてきました。そして、多くの研究が
示しているように、動物の体は「数万年間の環境の中でもっとも適切な防御系になっ
ている」ということですから、500年前頃から食べ出した「葉物野菜」などが人間
の体に良いということになると、かなりこれまでの学問とは異なる結果と言えます。
・・・・・・・・・
現在の日本ではほとんど宗教ではないかと思われるほど「野菜主義」のようなものが
常識化していて、「野菜は健康に良い」というのを疑う人はいません。そしてそれが
「科学」や「学問」の裏付けがあると錯覚をしています。でも、そのような情報の伝
え方は「知の侮辱」でもあります。
私は学生(研究生)に対して、「「Aを変えればBがどうなるか」という実験の整理
は危険です。自分ではBに対してAが一つの因子として関係があると考えていると、
どんな物でもある程度の相関性がありますから、間違った結論が得られます」と指導
します。
このようなことは「科学者の基礎教育」ですが、現代の社会はあまりにも「知の初歩
的制限」を無視したものが多く、お医者さん、科学者や学者の方は注意をされた方が
良いと思います。
(平成24年2月8日)
(注)記事のデータに一部に(財)食生活情報サービスセンターのものを使わせてい
ただきました。
「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.420-(9:33).mp3」をダウンロード
[Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_223510458。]
[Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_1xxx-xxx-xxxxx。]
武田邦彦



最終更新日時 2012.02.11 00:58:56
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2012.02.09

  「今日一日生きて」

「今日一日生きて」
・2.9.木
結局、被曝による人体への影響ははっきりしていない。
一年の被曝が2ミリシーベルトで癌になるかもしれないし、100ミリシーベルトでも平気かもしれないということだ。
分らないのは、人によって差があるからではないのか?
とにかくそこで我々人類がとるべき行動は、予防原則というものを皆できっちり守って、安心できる生活を確保するということだ。
ところがその危険な値が実の所分らないということを逆手に取る輩が、利益を守ろうとする。
すべてこの国の法律が力を持たないことが大きな問題である。
法律が力を持たないということは、警察と裁判所と政府と大企業の癒着があるからだ。

その内容はさておいて、近頃の武田氏が音声の説明でチラッと口にすることが気になる。
一つは、バナナによる被曝だ。
バナナに多く含まれるカリウムという成分が、セシウムなどとは被曝の場所も状態も違うとしても、被曝には違いないらしいのだ。
そんなことを言えば、カリウムを多く含む食べ物はたくさんある。
カリウムは体に必要な成分であり「セシウムを取り込まないためにもカリウムを取りなさい」と教授して来たばかりではないか。
バナナの話はまだ詳しく説明されていないので、気ばかり引かれてほったらかしである。
それと、宇宙人存在をさりげなく当然のように話したことだ。
「宇宙を汚すことは、宇宙人が居るからだめだ」というような内容の一言であった。
科学者の間では、宇宙人の存在はもう当然の事実なのだろうか。
これももっと詳しく説明が欲しい。

ーーーーー
知の侮辱(5)・・・被曝:現代人の知恵の彼岸
最近の原発の事故に関係することで、もっとも大きな「知の侮辱」は「被曝と健康の
関係が学問的に判っている」という「学者」が多かったことです。学問というのはそ
れを専門とする人がデータや理論で論理的に納得し、定説となったものをくみ上げて
作るものですから、ある学者は1年0.1ミリ(ドイツの学者が中心)、ある学者が
1年100ミリと1000倍の違いがあって、学問とは言えないのです。
学問と言えない段階のものは、学問的には不明と言うのが学問です。学問は、社会の
利害、自分の思想、反原発派が憎らしい、神経質な人がいる・・・などと言うことと
は全く無関係で、学問的に被曝と健康の関係が判っていれば明確に答え、判っていな
ければ判らないと答えるものだからです。
放射線が外部から体を貫くと、たまには遺伝子や体の重要な部分を損傷する可能性が
あります。また放射線が活性酸素を作り出し、それが体のどこかを酸化する可能性が
あります。さらにはヨウ素やセシウム、ストロンチウムが体の一部に蓄積し、それが
病気の引き金を引く場合もあります。
自然放射線は1年1.5ミリですが、それに何ミリぐらいが加算されると健康にどん
な害があるか、カリウムには放射性を出す物もありますが、それとセシウムが入った
牛肉とを単にベクレルで比較できるのか?そんなことは学問的には判っていません。
研究例があり、調査結果があるに過ぎず、それは相互に大きく異なった結果を与えて
いるからです。
このような場合、「環境を守る」という点では世界での合意があります。この合意は
水俣病などの辛い経験をもとに人類が築き上げてきたもので、それを「予防原則」
と言います。予防原則はそれ自体が学問と言えるものですが、「科学的に判らないが
、危険の可能性もある場合、社会的合意によって規制することができる」というもの
で、論理的には立派な学問的成果です。
被曝と健康の関係は学問的に判っていないのですから、社会的に必要なら予防原則で
規制するわけで、それが「1年1ミリ」です。もちろん、1年1ミリでも「膨大な実
験データと調査結果」に基づいて「詳細な被曝計算」をするのですが、実はそれらは
「学問」ではなく、「技術」に属することなのです。
つまり、1年0.1ミリまで安全という学者のグループと、1年100ミリまで安全
というグループがいるのですから、当然、学問として結論が出ていないのですが、た
とえば、それらのデータの平均値を取るとか、安全側を採用するなど、一応のデータ
に基づくことはできるのです。
・・・・・・・・・
科学が社会の信用を得るためには、科学者の発言が信用できるものでなければなりま
せん。それは若干、慎重なことになるかも知れず、生産現場や医療現場はそんなこと
は言ってられないと思いますが、それは現場に限ることで、現場でもないところに非
科学的なことをそのまま伝えるのは誤解を招く原因になります。
現在、被曝を心配している一般の人に対して、原子力や放射線の学者は次のように言
わなければならないでしょう。
「残念ながら多くの学説はありますが、まだ学問の段階には至っていないので、どの
ぐらい被曝したらどうなるということは判っていないのです。そこで、社会的には予
防原則を採用して「外部被曝と内部被曝の合計が1年1ミリ」を被曝限度としていま
す。それが現在の人間の限界で、日本の法律もすべてこの基準を適応していますし、
それから食品や土壌などの1キロ何ベクレルという基準も作っています。」
学問は圧倒的な数のデータがあり、再現性があれば「相関関係(何かの変数を変える
と結果が変わる)」だけでも、なんとか学問になることがありますが、普通は「相関
関係」だけではなく、その関係が何らかの科学的な「因果関係(原因と結果が論理的
に明確であること)」を持たなければなりません。
その意味で、被曝と健康の問題は私たちの現在の学問が及ばざるところで、まだ「彼
岸」にあると言えるでしょう。私が原子力委員会の研究開発部会で原子力の安全研究
を促進するように進言したのはこの様な認識だったからです。
「なんだか判らないけれど、このような傾向だ」というのはまったく学問ではないので、「どのぐらい被曝したら、患者さんがこの程度でた」というデータはあまり役に
立たないのです。このことを温暖化の時、「CO2が増加すると気温が高くなる」と
いう科学者が多かったので、それなら「武田の年齢が増加すると気温は高くなってい
るのですが」と冷やかしたことがあります。
今度の福島の事故で、私は多くの方が学問とはどういうものか、なにが科学的でなに
が非科学的かということを考えていただいたのはとても良かったと思っています。で
も、学問的な結論もないのに「大丈夫」などと言い、5歳の子供が大人を信じて被曝
して15歳で発病したら私たちはどうしてそれを償うことができるのでしょうか? 
私たちは判らないのですから、謙虚で慎重でなければなりません。子供は私たちを信
じているのです。
(平成24年2月6日)
「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.417-(8:17).mp3」をダウンロード
武田邦彦



最終更新日時 2012.02.10 00:39:10
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2012.02.08

  「今日一日生きて」

・2、8、水
福井県の大飯原発の再開は、何としても阻止しなくてはならない。
福島の事故が日本を変える大きなチャンスなのだ。
大飯原発となると、もちろん関西は直に我が身に降りかかる危険の問題だ。
「せめて大飯原発ぐらい稼動しないと、夏の電気は供給仕切れない」と関電は述べているが、よろしい、すべて稼動を停止して、どうなるか見てみようではないか。
どうせ関電は余る電気を隠して、皆が困るように電気の供給を止めたりするかもしれないが、彼らにも利益が必要なのでずっとそうはできないはずだ。
それぐらいの覚悟で掛からなければ、常に彼らの思惑通りことが運んでしまう。
ストレステストなどというまやかしに総理もGooを出すようでは政府も何もあったものではない。
関西全体で署名集めをするとか、何とか打つ手はないのだろうか。
大飯原発の周りの人たちの反対運動だけでは微力過ぎる。


ーーーーー
「ストレステスト」の保安院の審議は法律違反
大飯原発3号機と4号機の再開のために経産省の原子力保安院というところが、「ス
トレステスト」をして「安全を審議した」とニュースは伝えています。伝える方も問
題だが、政府も政府です。
日本は原子力基本法の成立と原子力政策を作るときに、「日本は被爆国であり、原子
力の安全を保つために、原発を推進する方が安全を審査してはいけない」としている
。つまり、原発推進は原子力委員会と経産省が行い、それとまったく違う組織(原子
力安全委員会)で安全を審査することになっています。
安全の審査を独立の機関でしないと安全は保てない・・・これは原子力というものを
日本でやるときに政府が国民に約束したことです。でも、現実的には保安院というの
が経産省にでき、約束を実質的に反故にしてその結果として福島原発事故がおこった
にも関わらず、またそれを繰り返しています。
それに加えて、ストレステストというテストは地震も津波もなく、ほとんどの原発が
内陸の川で冷却しているというヨーロッパで使用されているもので、その点でも日本
で無批判に使えるようなものではありません。
でも、もっと基本的なこと、原子力の安全を保つためには、原子力を現実にやってい
る人が絶対に安全を審査してはいけないという基本方針がこれほど無視されていても
、それを政府も、専門家も、報道もなにも言わない社会は気持ちが悪いほどです。
(平成24年2月8日)
「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.420-(4:13).mp3」をダウンロード
武田邦彦



最終更新日時 2012.02.09 00:30:05
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2012.02.07

  「今日一日生きて」

・2.7.火
この武田氏の説明は、もう一つ分ったようで分らないところがある。
なぜ武田氏が木はCO2を吸収するという常識を否定するのかというのは、木は昼に光合成を起こすのでCO2を吸うが、夜にはすべて吐き出すので、結局木がCO2を減らしてくれる訳ではないということらしい。
この「吸って吐く」というところをもっと明確に述べなければ、何を言ってるのかはっきりとは理解しにくくなる。
これは僕も「木が二酸化炭素を吸ってくれる」と習っていた。
だから呼吸によって二酸化炭素を出す人間とうまく行くのだと。
しかしドイツにいるころに「木は吸った二酸化炭素を夜に吐き出す、だから朝の森で美味しい空気と感じているのは、二酸化炭素なのだ」と誰かが教えてくれた。
朝の新鮮な木々の香りが二酸化炭素であるのかどうかはよく分らないが、とにかくその時に「日本で教えられたことと、様々な部分で随分違うな」と思ったものだ。
こういった「常識の勘違い」が、ただ間抜けが原因でのことなら「恥ずかしい日本人」で終われるが、狡猾な人間の予算獲得や、誰かの利益に繋がる計画的な嘘だとしたら(近頃は僕も世間というものがやっと分って来て、すべて疑わしく思えてしまう)税金の盗み取りを見逃す訳にはいかない。
それにわざと間違と知って教科書に掲載し、子供たちに間違った知識を植えつけるとは言語道断だ。

ーーーーー
知の侮辱(2)・・・森林はCO2を吸収しない
このことを「知の侮辱」の最初に書こうと思ったのは、理由があります。今から10年
ほど前でしょうか、小泉純一郎内閣の時です。当時、政府に「科学技術戦略会議」と
いうのがあり、ノーベル賞学者や東大教授が多く名前を連ねていました。
ある学問のシンポジウムで、私が環境と国際関係の話をしたのですが、それをお聞き
になっている人の中に科学技術戦略会議の議員の先生がおられました。実直な先生で
したから、私が「森林はCO2など吸収しないのに、このような科学的な間違いが蔓
延するのは科学者として残念だ」ということを言いましたら、話の後で真っ先に手を
上げられて「森林がCO2を吸収しないって本当ですか?!」と言われました。
その時、私は懇切丁寧にその理由を説明しましたが、十分には理解されなかったと思
います。それでも、「これは大変なことだ。本当に武田先生の言われることがただし
ければ・・・、科学技術戦略会議では吸収すると言っていた!!大変なことだ!」と
言われました。
「科学技術戦略会議」とは「正しい科学技術の認識のもとで日本国家の方針を決める
」という会議ですから、そこで科学技術に反することが前提になるとは考えてもおら
れなかったのでしょう。
・・・・・・・・・
1997年の京都議定書で、日本は国際的に大きな不利を被りました。このことを少しで
も回復しなければならない環境省は、日本が削減すべきマイナス6%(6%は形式的
な数値で本当はマイナス19%)を実質的に減らすために国際会議で「森林吸収分を
参入する」という交渉をしました。
ヨーロッパ勢は日本だけが不利だったのですから「ま、しかたないか」ということで
「科学的には無関係だが認める」というコメントを出しています。いわば国際的にも
日本の恥をさらしたことになります。
これに基づいて政府は国際的な間違いを国内に持ち込まざるを得なくなり、「森林の
働きでCO2を減らす」という非科学的方針を打ち出したのです。これに乗ったのが
、森林関係のお金を取ることができる林野庁や森林総合研究所、森林関係の学者など
でした。
すべてはお金で動く時代ですから、その人たちが一斉に「森林はCO2を吸収する」
と言い始め、マスコミはそれに追従し、ついに子供たちまで科学的な間違いを教え始
めたのです。学問的に間違ったことが社会的な常識になったのです。
・・・・・・・・・
これについて私が名古屋市の経営アドバイザーになった時に、一つのもめ事がありま
した。当時、名古屋市は(どういう理由か)CO2の削減を市民に指導していました
。その一環として名古屋市でもっとも賑やかな「栄の交差点」に大きな「CO2監視
計」を市民の税金で作っていたのです。
私が正しい経営のアドバイザーとして「CO2の濃度を測定しても意味がないですよ
」と言いましたら、担当室長は色をなして「先生!なに言っているのですかっ!そば
に樹木があって昼間は光合成でCO2を吸収するから値が低くなって、夜は光合成が
止まるのでCO2が増えているんですっ!小学生や中学生にCO2と樹木のことを教
えるのに役に立っていますっ!」と言いました。
これこそロンドン天文台長が「現代社会では自分の学問に忠実な学者は絶滅した」と
言った意味なのです。社会に誤解が蔓延し、それに学者が合わせて生活をする。だか
ら、誰も学問的に間違ったことでも指摘できなくなるのです。
昼間にCO2が減って、夜、光合成が止まるのでCO2が上がるのは確かですが、そ
れは「樹木がCO2を吸収する」ということにはなりません。樹木がCO2を吸収す
るのなら「昼と夜の合計」を測定して、その増減を調べなければならないのであり、
「昼と夜の差」を調べても結果は得られないのです。
もちろん、栄の交差点はオープンな場所ですから測定自体がCO2の増減を調べるこ
とはできないという基本的な問題もあります。
「科学的な心」というものの一つは、「何を測定したら何が判るか」ということです
から、残念ながら名古屋・栄のCO2計は「子供たちの科学の心を破壊する」ものな
のです。これでは先生方が一所懸命「科学の心」を教えても、子供は成長しないでし
ょう。
お金で子供の発達を阻害するという典型的な例の一つだったのです。
「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.415-(8:32).mp3」をダウンロード
(平成24年2月5日)
武田邦彦



最終更新日時 2012.02.08 00:20:35
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2012.02.05

  「今日一日生きて」

・2.5.日
僕が住んでいる河内長野の山を切り開いて造った住宅街を出ると、外環状線が走っている。
これは30年足らず前に通った道で、それまでは人里離れた静かな山村だったそうだ。
毎朝の犬の散歩で時々この外環まで出て、その脇の歩道を歩く事がある。
するとその歩道の上に夥しいゴミが散乱している。
コンビニ弁当の殻やスナック菓子の袋、空き缶や牛乳パックなどである。
最初、夜中にこんなところで中学生などが屯して汚したものと思っていたが、周りの人に尋ねると、どうやらそれらは行き交う車の窓から捨てられたものだという。
一旦誰かがそこにゴミを捨てると、それを見て通る車は皆そこがゴミ箱とでも思うのだろう、今や大変な量となって、歩道の上や、脇の草むらなどのあちらこちらに散乱している。
「自分の家や自分の車以外はゴミ箱」というこの感覚は、一体どの時点の間違いから起こることなのか、どの時点でこういった大人が出来上がってしまうのか、僕はいつもそのゴミの前で立ちすくんで考えてしまう。
年齢層から見ても、今の年配者がそれを行なっていないとはおそらく言えないだろう。
となると、その年配者に育てられた中年層、その子供の若い層が正しく倫理を持つということは期待できない。
高度成長期が人々の何かを狂わしたのか、それに伴う学歴社会が「皆で他人を慈しみ、皆で温かい社会を育む」というようなルールを崩壊に導いたのか、またはそのような「自分がよければそれでいい」という精神は今に始ったことではないのか。
このままでは使用済み核燃料だって、世論が煩いから他の国にそっと捨てて、知らん顔をして帰って来るなどということもいずれ起こるだろう。
とにかくこのまま「ルールがどうした、法律がどうした」という風潮が蔓延して行くと、行く行くは「殺人がどうした、虐殺がどうした」ということになるだろう。
事実、ネコを虐待して何とか日々の自己存在を確認しているような手合いが、どんどん増えているのだ。
町に捨てられたゴミの問題は、もっと大きな人道の問題、命に関わる問題に繋がる、人々の脳の破壊と言える社会問題だと僕は確信する。

ーーーーー
瓦礫引き受けに関する考え方(1)・・・なぜ、瓦礫を引き受けてはいけないのか?
瓦礫の引き受けが全国で拡がっています。これまで「他の自治体のゴミを引き受ける
なんてとんでもない!」と言って来た首長さんはずいぶん、豹変するものと感心して
しまいます。
それには「ウラ」があるのですが、まずは瓦礫の引き受けを止めようとしている多く
の人のご参考にと思い、具体的な話から入ります。
・・・・・・・・・
長い間、日本人を被曝から守ってきたこと・・・日本は原爆を落とされた国として被
曝に対してしっかりした考え方でやってきましたが・・・、それは「法律を守る」と
いうことです。人間に対しては1年1ミリシーベルトという厳格な規則があります。
まず、第一に、被曝に関して法律があり、瓦礫を引き受ける自治体は「法律を守る」
ということを宣言しなければならないということです。自治体の多くは今まで「被曝
の法律なんかあるの?」という態度でしたから、まずそれを確認することが大切です

ここで、言い訳がでてきますので、それに対抗する必要があります。それは「日本に
はもともと原発の事故を想定した法律などない」というものです。でも、これは間違
っています。原発の事故に関する法律とその考え方は次の様になっています。
1)原発の事故が起こっても起こらなくても、日本人の被曝と健康の関係は変わらな
い(これは、被曝に関するすべての法律が同じ基準値であることでも判ります。つま
り日本国内の法律で「この法律では1キロ100ベクレル、この法律では1キロ1000ベク
レル」などとなっていると混乱するという理由と、もともと被曝の発生源などが違っ
ても日本人に与える影響は同じだからです。)
2)従って、どの法律を使っても同じ結論になる(悪意で誤魔化さなければ)。
3)原発を運転している限り、事故の可能性はあり、日本政府はそれほど無責任では
ないので、事故の想定をしている。それによると希な事故(およそ1万年に1度)の場
合は1年5ミリまで被曝限度を上げることができる。およそ10万年に一度程度の事故の
時には、1年5ミリからあまり離れない被曝量を設定できる)の場合、被曝限度を現行
法を超えて設定できるとしている(これは原子力安全委員会指針)。今回の事故は原
子炉が運転し始めてから100年以内。津波の規模は1000年に1度以上だから、指針によ
って1年1ミリシーベルトを超えられない。
4)食品基準、物品基準、廃棄物基準、土壌基準などは、1年1ミリシーベルトをスタ
ートとして計算される。ベクレルは人間に関係の無い数値で、シーベルトを決めると
ベクレルが決まる。従って、すべて1年1ミリシーベルトが最初の基準になっている。
従って、食品でもゴミでも現行の基準を変えることはできない。
5)このほかに、原子炉については核種が多いので、特別な注意をされていて、「ク
リアランスレベル」という別の概念が適応される。これは「1年0.01ミリシーベルト
のものは自由に取り扱っても(捨てても)良い」というもので、1年以内懲役、100万
円以下の罰金を伴っている。
6)今回の福島原発事故は、原子炉の中のものが飛び散ったので、クリアランスレベ
ルを適応するべきである。
7)瓦礫の処理には「今、東京にあるゴミより放射線量が低い」という理屈を持ち出
すことがあるが、そんな法律はない。Aが泥棒をしたのだから、Bの泥棒が許される
ことはあり得ない。法律違反は法律違反である。もし東京のゴミが基準値以上なら、
基準値以上のものを持ち込んでも良いというのではなく、東京のゴミを東電が処理し
なければならない。
おおざっぱにいって、瓦礫に関して日本人を被曝から守るための法律は上記の様にな
っています。もし自治体の首長さんが良心的なら、クリアランスレベルを守るでしょ
う。それほど良心的でなければ、被曝の一般法を守るでしょう。
もし、住民の健康よりお金が欲しければ、法律があることを知らないふりをするか、
いろいろな理屈を言うでしょう。なお、被曝に関する法律は「法で定められている」
と言うほかに、「現在の医学では最良の値を決めている」ということでもあります。
時々、「法律で決まっていると言っても学問的にはどうなのか?」などと言う人がい
ますが、被曝限度のような数値は日本の学者のコンセンサスでできています。
法律に反することを言う学者は法律を決めるときに、相手にされなかったか、もしく
は論争に負けた人です。急ぐので、まず、ここまでで第一回を終わります。
(平成24年2月4日)
「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.413-(10:33).mp3」をダウンロード
武田邦彦



最終更新日時 2012.02.07 13:55:22
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2012.02.02

  「今日一日生きて」

・2.2.木
下記の記事にある「東海地震が近々起こると唱えるのは、東大が予算を貰うため」という話を聞いて、それはもうあるだろうことだし、全くエリートの連中は予算をかすめ取ることしか頭にないのかと憤慨する。
日本を守る、または再建し直すためには、このエリートと言われる連中を考え直さねば、問題の根っこは掘り起こせない。
学歴があるということは、試験の成績が良いということ、試験の成績は、ある程度記憶力の高さとも比例するようなシステムであるようにも思える。
成績が良くて真っ当に東大に入学できるということは、もちろん記憶力だけでは無理だとは思うが、思考し国全体の幸せを望み、そのために自分はどんなことに汗をかかねばならないかと頭を働かすのは、記憶力の良さだけではもちろん何の役にも立たない。
そこに「人柄」が欠かせないポイントとなって来る。
おそらくそれは東大の入学試験では点数を付けることはできないのだろう。
その先にある人生を掛けた目的が「国益の私物化」「利権を思うがままに」「ばかな国民を騙し、自分の利口さに満足する」などであるなら、どう考えても頭の良い人種とは思えない。
それらが国のトップエリートたちの環境であるなら、エリート道中に何かしらの決定的な間違いがあるのだ。
学歴社会というものがなければ、もしくは人の能力を個別に評価するだけの裁量が国の大人たちに備わっていれば、もっともっと明るい、愛すべき日本が存在しようものを。
その間違ったエリートをこしらえたのも、我々の社会なのだ。

ーーーーーー
地震の避け方、かわし方(1)・・・東海地震がなぜ注目されたか?
物事はそれほど偶然ではなく、それぞれに理由があるものです。特に、かなり大きな
ことはそれなりに理由を見いだすことも大切です。
「東海地震が来る」と言われて40年。その間に、阪神淡路大震災と東北大震災の2つ
が日本列島を襲い、今、また関東に大地震があると言われています。なぜ、東海地震
が来なくて、阪神と東北に大地震が来たのか? それも1000年に一度というような大
規模な地震が予測できなかったのか? それほど予測精度が悪いのに、なぜ「次回だ
けは予測できる」のか? ジックリと考えたいと思います。
・・・・・・・・・
東海地震がすぐにでも来ると言われる少し前、松代群発地震というのがあり、それが
キッカケとなって「地震予報を出そう」ということになりました。このような時に世
論を作っていくのは、普通は「若手官僚―東大教授―マスコミ」の連合軍です。
最初はそれほど悪くはなく、「日本は地震国だから、地震予測を進めなければならな
い」、「仮に地震が予測できたら、人命ばかりではなく、経済損失を少なくする上で
も貢献できる」ということで前向きの議論になります。
ところがその直後に問題が発生します。それは「予測を誰がするか」ということです
。政策の原案を作るためには「官僚と東大教授」という組み合わせで行われます。日
本は議員の政策立案力が無く、官僚がほとんどをやっていますし、東大教授だけが優
れているのではないのですが、東京にいることと、官僚と同じ大学(多くは東大)の
出身で個人的に知り合いが多いということがその理由となります。
「予測をどのようにするか」という検討段階に入りますと、「全国を一律にやるのも
予算がかかる(官僚)」、「東海地震が近いからそこを重点的にやったらどうか(東
大)」となって、「東海地震の予知からはじめ、東大がそれを担当する」という筋書
きができます。
ここに大きな問題が発生していますが、議論がまともですから、反対もなく、マスコ
ミも特に不思議と思わずに報道します。
「松代群発地震も起こり、社会は地震に対する関心が深くなっている。かつて関東大
震災で大きな被害を受けた日本だから、世界に率先して地震予知を進めなければなら
ない。地震学者によると太平洋から日本列島の下に潜り込んでいるプレートのひずみ
が大きくなっており、次の巨大地震は東海地方がもっとも確率が高い。」
実に論理が通っていて、この報道に反対する一般の人はほとんどいませんでした。そ
れにNHKなどの「よい子報道」を優先する報道機関は「地震予知の研究が始まる」
と報じ、それを東大教授が「近々、起こると考えられる東海地震の構造」を解説、多
くの人が「プレート」、「エネルギーの蓄積」などに話題が集中します。
このとき、「なぜ、東海地震なの?」と疑問を呈すると、袋だたきに遭います(この
瞬間が原発事故も含めて日本の大きな問題を生じる瞬間なのです)。袋だたきにする
人は、政府、東大教授、NHK、権威に追従する性質をもっている知識人、「常識」
を重視する人、「みんなで渡れば怖くない」と考える人などです。
しかし、この瞬間に「なぜ、東海なの?」と疑問を呈することが、その後、40年にわ
たるムダなお金、阪神・東北の地震の犠牲者を少なくすることができる大きなポイン
トと思います。
・・・・・・・・・
学問を議論する「学会」が、オープンで、どんな発表でも、どんな批判でも許されて
いるのは、人間が難しいことに取り組むときには、オープンで自由な議論が必要であ
るという経験によっています。「権威のある人」が「正しい」ということではなく、
山片蟠桃が言う「大知(多くの人の知恵の方が少数の優れた人の知恵よりレベルが高
い)」を実践する方法が学会です。
誰でも参加でき、誰でも発言でき、かならず記名、身分をハッキリさせて議論すると
いうのが絶対に必要なのです。
日本での地震予知、予知研究のはじめの段階で「疑問を呈する人」と「それを取り上
げるマスコミ」があったら、阪神淡路か東北大震災の一つぐらいはある程度の警告が
でき、それに基づいた対策がとられ、犠牲者を減らすことができたと思います。
・・・・・・・・・
なぜ、東海地震が来ると言われたのか? それは「東大が研究費をもらえるから」で
あって、「科学的に東海地震が先に来る」と言うことではないのです。官僚の東大教
授の議論では、東大に研究費をだすという以外の結論にはなりません。まさか政策準
備の段階に席に着いていない東北大学や大阪大学には研究費が行くはずも無いからで
す。
現在でも、それは同じなので、まず第一に阪神淡路大震災と東北大震災を予知できな
かった東大関係の地震学者へ研究費を出さないようにすることでしょう。そして、第
二に地震学会を再構築して、自由な雰囲気で議論するようにすることですが、そのた
めには「役に立つ研究」を止めて「研究費を一律に配る」ということに変更する必要
があります。
そして第三にNHK、マスコミ、国民が「決定された経過がオープンでないものは、
疑い、批判を試みてみる」という習慣をつけることでしょう。これまでの失敗を反省
し、あるいは批判するとともに、将来のことを考えてより進んだ社会にする必要があ
ります。
特に、阪神淡路大震災と東北大震災で犠牲になった方々の無念を晴らすためにも、「
なぜ、東海地震の前に2つも大地震が来たのか?」を問わなければなりません。
(平成24年1月31日)
「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.402-(9:53).mp3」をダウンロード
武田邦彦



最終更新日時 2012.02.03 00:49:53
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