人間無骨 由来の。
▲ 十文字槍 (人間無骨) 銘 「和泉守兼定作」 長さ: 一尺二寸五分(37.5cm)関の刀工・和泉守兼定の作。十文字槍。和泉守兼定は代表的な戦国時代の刀工の一人。代々襲名したため同名の刀工が複数いるが,この槍の作者は俗称「之定 」の,二代兼定。ランクは最上大業物で,虎徹が生きていた時,彼に打って貰う代金が五十両であったのに,之定は千両もしていたことから千両兼定と呼ばれている。森長可 (1558-1584年)が1574年の伊勢長嶋の戦いでこの槍を振るい,27の首級をあげ,織田信長をも感嘆せしめたという。表には「人間」,裏には「無骨」という彫刻があった。この槍の前では,人間も骨が無いように切られてしまう,という意味である。「鬼武蔵」と恐れられた長可の手にはいつもこの「人間無骨」が握られていた。松浦静山の著した『甲子夜話』(1821年)に人間無骨のことが記されている。(以下現代語訳)「・・ちなみに,長可が戦で携えていた人間無骨という槍は,今も森家に伝来しているという。玄関にかけてるのがそうだ,と森右兵衛佐が言うので,注意して見たが,なるほど大きな十文字の槍。立ち寄って見たが,さすがに番の人がいる前だったので,森殿に頼んで図を写させてもらった。(中略)鬼武蔵は戦の時に,首を取ってこの槍に刺し,槍を立てて突いたら,十文字を突き抜けて下まで行ってしまった。剛の者のなす技といっても,これはやはり槍の刃のすごさだ。森家では旅行では必ずこの槍を身辺に持参する。(中略)しかし倉が焼けたと聞いて,槍はどうなったのかと森右兵衛佐に尋ねたら,“焼ける前にレプリカを作り,それを持ってきたから。本物は赤穂城にあるので大丈夫。”ということだった。思うに,この槍には長可の霊が宿っているのだ。」 この話にもあるように,江戸時代の赤穂・森家ではこの槍は常に玄関にかけていて,行列の際は一番道具になっていた。この槍は、正と副が伝来するという。一時は靖国神社や国立博物館にも展示されていたらしいが,その後,御物にでもなったのか所在がわからない。以上まとめみたいなとこから転載(私が個人でネット以外で調べたものと合致しているため。転載に問題ある場合はBBSにお願いしますm(__)m)