常識的犯罪論の断層
1 素人と玄人-裁判員制度が解釈論に与えるインパクト2 それは理由ではない-法律書とフィクション1の抽象的な物言いを2の論点にあてはめると(強盗殺人罪を想定)、財産上の利益の移転が「直接」かどうかは裁判員が常識的に判断すればいい、なんてことになりそうです。裁判員の皆さんに、過去の判例分析なんかしてもらうわけにはいかないだろうし。かといって、裁判官が、「こういう判例がありますよ」なんて分かりやすく解説するっていうのも、なんか誘導になりそうで難しいでしょうね。そうではなく、いかなる事実があれば「直接」といえるかということは裁判官のほうで決めちゃって、裁判員は、裁判官が設定してくれた個々の事実があるかないかだけ判断すればいいんですか。この考えをさらにすすめると、たとえば「殺意」の認定でも、裁判員は、凶器がなんだったかとか部位はどこかといった個々の事実の有無だけを判断し、「殺意」があったかどうかは、裁判官がそこで認定された個々の事実を総合して判断するということになりかねません。間接事実からの「殺意」の認定なんて、裁判員には難しいでしょってことで。「法令の解釈」は裁判官の専権とし、裁判員には「事実の認定」の権限があるわけですが、上の「直接性」の場合、「利益の移転には直接性が要求される」というところまでが法令の解釈であり、どういう事実があれば直接といえるのかは事実の認定の問題なのか、それとも、「利益の移転には○○といった事実があること(直接性)が要求される」と、直接性の中身を決めるところまでが法令の解釈に含まれ、いかなる間接事実があればその直接性の中身たる事実が認定されるのかが事実の認定になる、ということなのか。さらに、そこでいう間接事実として何が必要なのかというところまでもが法令の解釈に含まれてしまうのか。根拠はありませんが、たぶん、1 直接性2 直接性の主要事実は何か。3 2の主要事実を認定するための間接事実は何か。4 3の間接事実は存在するか。12までが法令の解釈にあたり、34が事実の認定ということになるんじゃないですか。殺意の場合は、「直接性」みたいに「そもそも直接性って必要?」って問題はないと思うので、1 殺意の主要事実は何か。2 1の主要事実を認定するための間接事実は何か。3 2の間接事実は存在するか。となり、1が法令の解釈、23が事実の認定と。ただ、2を事実の認定に含めてしまうと、たとえば、「被告人は窃盗の常習犯である」という間接事実から殺意が認定できるという考えの裁判員がいたとしても、裁判官は「その事実を間接事実として使うのは禁止します」とはいえず、あくまでも評議の中で説得するか多数決で押し切るかしかできないってことになりますよね。事実の認定は裁判員の権限だから、裁判官が、「別内容の犯罪をやってるってことを殺意の認定に使ってはいけません」なんて事実認定のルールを押しつけることはできないはずです。使って良いかどうかというルール自体を、国民の常識といわれるものにさらさなきゃいけないということです。もう少し勉強してから書き直します。