国家の役割と少子化対策、と自殺対策
失言云々ていうよりも、そもそも、国家が少子化対策をとること自体許されるんですか。要するに、個人が子を産むかどうかなんて個人的な事柄に直接影響を及ぼすような政策を国家が行ってもいいのかどうかってことです。もちろん、人口問題がいわゆる「国力」に影響があるものであろうことは理解できるんですが、だからといって、直ちに、少子化対策をとっていいってことにはならないと思うのです。 少子化政策をとるにしても、自殺対策のところでも述べたように(こちら)、子作りを望んでいない人にも義務づけるのか、望んでいる人を支援するのにとどめるのか、といろんなレベルがありうるわけで、どこまで関与していいのかってことも考えなければならないですよね。「最低一人っ子政策」(最低一人は子供をつくらなければならない)なんて露骨な規制であれば、さすがにまずいだろうとなるんでしょうが、子供がいる人は税負担を軽くするとか、いない人には特別税をかけるとか、そういうことはいいのかどうか。 もちろん、現在でも子供がいれば税負担は軽くなるわけですが、これは子供がいればそれだけ生活費がかかるでしょ、っていう現実的な観点からの控除であって、少子化政策にかなっているから、という理由からではないですよね。そこで、生活費云々という理由からの控除とは別立てで、少子化対策を理由とする控除を設けることが許されるのかってことです。 子がいない人を不利益に扱うのは駄目だが、子がいる人を利益に扱うのは許される、なんていうのは詭弁でしょ。税負担につき、原則は5だが子がいない人は10にすると制度設計するか、それとも、原則は10だが子がいる人は5にすると制度設計するか、どっちでいくかは任意だし。○ 少子化対策(人口を増やす)と自殺対策(人口を減らさない)とをともに国家レベルで推進していくというのは、どうしても富国強兵的な臭いがしてしまいます。両対策をたとえると、自殺対策は出口を閉めるものであり、少子化対策のほうは、、、たとえると失言になりそうなのでいわないでおきましょう。 まあ、それぞれの政策は、それぞれの思惑ですすめてきたものなんでしょうから、無理矢理結びつけるのはこじつけかもしれませんが、組み合わせると、何かよろしくない感じ。 少子化対策が、たくさん人を増やそうよ、みたいな素朴なお話でとどまっているのであればまだいいんでしょうが、ここにさらに、選民思想的な考えをかぶせていくと、たちの悪いことになりそう。つまり、たくさん人口を増やした上で、国益に叶う人は優遇し、国益に叶わない人はどんどん排除していくみたいな。 死刑制度なんてのも、ある意味、悪人を社会から(ていうかこの世から)排除する機能を有しているわけですよね。その他、詳しくは分かりませんが、強制入院とかそういうのがでてくる法制度も、(本人のためっていう面もあるんでしょうが)その機能だけをみれば、社会に適合しない人を社会から隔離するってわけだし。 以上、国家ってどこまでのことをやっていいわけ?人権侵害さえなければいいんですか、という国家の役割の限界に対する疑問に基づくお話しでした。