|
カテゴリ:読書 ノンフィクション
民主党政権になってから、一際存在感がゾンビのように復活した日教組。
保守系からは反日・売国左翼として、今の日本の自虐思考を植え付けた諸悪の根源として蛇蝎のごとく嫌われているというか、存在全否定されていますが、その日教組が本当に現在の日本の諸悪の根源なのかどうか、何が実際に諸悪の根源として成り立ち、何が誤解であるのかを、極力組織の全否定だけを目的化しないように解説した1冊になっています。 私は現在の利権としての日教組は蛇蝎のごとく嫌っていますし、いわゆる日本の左翼の考える平和や民主主義や人権というもののあからさまな偏りは、何でその偏りさ具合に全く気がつかないのかバカなのか、そこに大人の事情が入り込んでいるのか判断がつきかねるなぁというのがあります。 私はマルクス主義を軸とした左翼は否定的な立場を取らざるを得ませんが(あれは、結局全体主義的な宗教ですから)同時に歯止めの無い資本主義や自由主義に対する危惧は同じように持ち合わせていて、経済政策としては中道左派というようなものが日本では出来ないもなのか?というような考え方です。 という事で、どうしても日本の現状の左翼が反日・売国という立場にしかなり得ず、未だに終戦直後の日本=軍国主義で東アジアに酷い事をしたで思考停止を起こしているのかが理解できないのですが、その思考停止を理解する上で、日教組という存在を通して理解しやすくはなったかなとは思っています。 本著は、日教組の悪い部分を具体的に示し、それが日本にどれだけ悪影響を与えているかという所にも触れていますが、だからといって日教組だけを悪として話を済ませてはいけないとしている所が、日教組の悪事を暴くものとしては珍しいですかね。 簡単に言うと、日教組の共産主義的思考を危険思想と分かっていながら、徹底的に排除しなかった自民党や官僚の責任という所に落ち着きますし、潰しきらなかった所には、分かりやすい批判勢力がいる事の便利さにかまけていたという事ですね。 いわゆる55年体制の自民党と社会党のズブズブの慣れ合いを引きずっていたと。 そういう面を考慮しないで、日教組だけを悪とするのは責任逃れでしか無いと。 結局、今の日本は戦後処理をガッツリとしないで、どこか曖昧なままでごまかしてきたのが、ごまかしきれない状況になってしまっていて、あちこちで制度疲労を起こしているという事になるのかなぁと。 その中でも時代から取り残されているのにも関わらず、しぶとく生き残り、現状では悪いところしか無くなってきている象徴の1つとして日教組があると考える事が正しいのかと。 戦後の日本教育に少しでも懐疑的な要素を持っている人は一読してみると良いかもしれないですね。 序 章 ある平凡な日教組教員の日常 第1章 「日教組」の誕生 第2章 「教団」としての日教組 第3章 「ムラ」としての日教組 第4章 「戦犯」としての日教組 第5章 日教組とのつき合い方 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月30日 20時59分24秒
コメント(0) | コメントを書く
[読書 ノンフィクション] カテゴリの最新記事
|