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MAIN CONTENTS
チソンの日記 [全59件]
ご無沙汰です。 とうとう、といかなんというか、6月28日付けで退職いたしました。 5年間、外国人招聘で食ってきて、このような日が来るのはまあ覚悟はしていましたが…。 でこれからですが、一応、新しいBLOGを起こしましたのでこちらをご覧ください。 マニラ総合企画 さて、このBLOG「マニラの今日」は同業の皆様やフィリピンに関わる皆様にお世話になりながら更新を重ねて着ましたが(最近だいぶ間隔はあいていましたが…)、このたび新しいBLOGのほうで切り替えて行くつもりです。今までありがとうございました。そしてこれからも宜しくお願いします。特に「プロモーター・クラブ関係者ボード」の皆様、今後も新BLOGのほうでご協力お願いいたします。 小説はどうするか、まだ決めていませんが、新しいトコに持っていく程でもないし…。まあ考えます。 では今後も宜しく!!
オッス、おらチソン。 今、再起を賭けてあるサイトを製作中ナリ。 もーちっと待つでちゅ! (悟空+コロスケ+タラ)
千葉のレッサーパンダが立って最近CMにも起用されえて話題です。その後あちらこちらの動物園でレッサーパンダが立つと報告されて、終いには「立つのは解剖学的にもあたりまえ/あの取り上げ方は『見せ物』」だとかなんとかと旭山動物園の副園長が「苦言」を呈していたそうですが、「動物園」はそもそも『見世物』じゃないかというツッコミはさておき(思ったとおりネット上でさんざんツッコまれていた)、この副園長が根本的に間違ってるのは、全国的に風太が話題になった理由は「立つ」ことではなく「立ち方」であるということです。我がBLOGでは珍しく今回写真を掲載しましたが見ての通りこの立ち方は相当インパクトがある。私も初めてみた時ほんとうにヒト入りの着ぐるみのようでキモチ悪く、またどこか漫画的な黒い笑いも感じられる、とにかく衝撃的な「絵」でした。これが四足動物がよくする前足を前にした「メシくれ」の立ち姿ならここまで評判にはならなかったでしょう。風太の写真の立ち方は背筋の伸びようからして強い意志を持って立っている感じがします。なぜ顔にくらべて体が黒いのか良く分かりませんが(昔のマンガで腹黒いレッサーパンダのキャラクターがあったが、一般的にレッサーパンダは体が黒いのか? だれか天王寺動物園周辺でホームレスしている元動物学部専攻の彷徨学生がいたら調べてくれ)、とにかくこんなのが自分の前から歩いて向かってきたら相当構えますね、私は。 風太と関係ないですが、昔、高校かそれくらいのとき、結構深刻な悩みがあったときにふらっと一人で動物園に行ったことあるのですがこれは結構良いですよ。ゾウやキリンなど普段実際に見ない動物を目の当たりにしたら結構スッキリします。たぶん、我々が悩む時はたいてい人間関係についてですが、人間以外の動物を見たら、世界には人間だけが住んでるのではないことに気付くからではないでしょうか。人間存在自体の重みが相対的に軽くなり自分の悩みも軽くなる感じです。ゾウの鼻なんて相当人間を凌駕していますよ。あれで水を吸って体を流すとこなんかほとんど人間業じゃありません(まあそのとおりだ)。そんなの見てたら会社なんてどうでもよくなること請け合いです。
なんか脈略なく書きはじめますけど…、 人生ゲームって、今だボードゲームの定番だけど、最初のコースが2つに分かれてて、片方が“一般”コースで片方が“学術”コースだったように思うんですけど、どうでしたっけ? コマ数としては一般コースのほうが少なくて早く進めるんだけど、学術コースは金が儲かるようになっていたはずです。今考えると人生ゲームで最初にどちらを選ぶのかでそのプレイヤーの将来を計れる気がして怖いです。学術コースでは小金が入るからとかでなくて、そのコースを選ぶことで人間の資質が決定されるような気がする・・・。 ちなみに私はいつも一般コースでした。またこのゲームは子供を産むとコマの車に人間のピンを刺していくのですが、金がなくなると子供を売ることが出来たはずで、これもリアルすぎて怖い。確かに1960年代までは子供の人身売買というのが残っていたらしいからもしかして正式ルールだったかもしれない・・・?。ま、今売ってる人生ゲームは全然違うパッケージだったしルールとかも変わっているかもしれませんが。 てか、今どきの子供たちはボードゲームとかするのでしょうか? 安物の評論家みたいなことを言わせてもらうが、我々の世代ってこの人生ゲームやあとモノポリーや戦国時代ゲームとかから実際の人生を学んだ気がするぞ。いや私が本当に人生を学んでいたらプロモーターなんぞにならんかったろうが、それはさておき、今ならボードゲームに相当するテレビゲーム(死語か? なんていう? プレステ?)とかあって、今どきの子供たちは学校の帰りに誰かの家に集まってそれの多人数プレイでゲームしてるのかもしれないが、しかしボードゲームをするのとやはり何かが違う気がしますよね。なんかテレビゲームはシュミレーション、虚構世界という感じですがボードゲームは学校という弱肉強食の競争社会の延長のような真剣勝負の場でもあったような気がします。だからPS2全盛の現代でも小学生の間では何んかのカード対戦(私は全然知らないが我々世代のスポーツカー消しゴムのカード版みたいらしい)が人気があるのはやはり子供もリアルな世界を欲しているからでしょう。 また、人間は、というか男は、「集まるための理由」というのが必要で、例えば子供にとってゲームそのものは“ダシ”で、要はどっかの家で集まってだらだら話したかっただけというのが実情なのです。それかその友達のお姉さんかお母さんのことが密かに好きでそいつの家に行きたかったとか・・・(私です)。こういう下校途中の寄り道で晩飯までには帰るという約束の集いは今でもあるでしょう。これが大人になると会社が終っての雀荘になるのですね(PPパブではダメ。コレは男同士の会話を放棄した堕落者の集いです)。雀荘なども半分は仲間とのだらだらトークが目的です。そういうの懐かしいな。今の会社じゃないですからね。この仕事不規則だから・・・。 現代社会で消滅しつつあるものの一つがこういう「だらだらウダウダ空間」だと今、思いました。金もないしキャバクラも行けないけど、なんでか家に帰りたくないなあ(そうだろ仲○?)。いい匂いのするネーチャンとは話できないけど、まあ同僚の脂臭いオッサンと役にも立たない話でもするか的空間、投げやりで物憂げで「あーあ。まーしゃないわ」がキーワードの“逆”祝祭的空間、非アジール、みたいなの、あなたの周りにありますか? まあオフィス街の居酒屋とか行けば臭っさいオッサンたちがダベっとりますが、なんかソレも「部下に説教」や「事務の年増女とあわよくばショッポり」みたいな、なんか無理した集いのような気がするのは私だけ? そうじゃなくてですね、例えば会社近くの「囲碁将棋クラブ」に会社帰りに一人で寄ってく上司、みたいなのどうです? 良くない? こういう空間を作ったらオモシロイのではないでしょうかね。 現代の必要なキーワードはしょせん、「まあ、無理スンナよ」、「莫迦、向こうは商売だよ」、「どーせ、口説いてもすぐ嫁化するよ」、「キャバクラ? ヘルスにしようぜ、マンドクセーよ・・・」、ではないのかとお嘆きの貴兄に朗報。 ネーチャンは居ないけど他の客のオッサンが話し半分聞いてくれるよ十時半までには家帰れよなパブ。その名も・・・ クラブ 人生そんなもん 大阪 ミナミ 三ッ寺通り 6月オープン!!! ・・・ってウソよ。 こんな感じで、私のBLOGもだらだらですな。なんか生活にメリハリがつかなくて、、。単身赴任だから、だと思いますが。今、実家にもどってるし一人暮らしというわけではないのですが、なんか“仮住まい”みたいな感じで嫌です。気合入れて生活しようという気がない。嫁がここにいないからというわけではないですが。 うーん。またね。
なーんもやる気ないっス。 幸い、珍しくも、というか同僚が気を使ってくれて3連休確保しましたが、連休初日の昨日は、・・・ 起床→マンガ喫茶(昼食込み)→ビデオ試写室(オナニー込み)→銭湯→マンガ喫茶(夕食込み)→嫁に電話→マンガ喫茶→カップ麺(夜食)→もう1回オナニー→就寝 ・・・という超ゴールデンスラムで(意味不明)ひたすら堕落していました。 まあ「ギャラリーフェィク」全巻読破という目標を立てたのは良かったのですが、「こんなことしててオレどーなるんだよォー」という強い不安がよぎります。 で、今日は会社に支持された入管提出用のレポートをこれから書くのですが、試験前の逃避のごとくBLOG打っとります。 ちなみにこのレポートは我が業界の未来を救済する内容にしてやろうと気合を入れる、つもり、やったんですが、3連休のおかげでそんなの今更どーでもよくなってしまいました。 だってさ、どーせさあ、この業界、もー終わりだぜ! 吉野家で言えば牛丼である目玉のフィリピン人が証明書問題で申請数が激減して、ならば他の、吉野家で例えれば豚丼(中国人)、カルビ丼(ロシア人)、カレー丼(インドネシア人)で代替しようとしてたら、オイオイお前、それより店舗が摘発されてるぜ、てな状態で、どーにもならんですわ、先生(誰?)。 もーあれですな。中朝国境で綺麗どころの脱北者を日本人学校に逃がして難民認定を受けさせて日本に連れて来てクラブで働かすか。だってこれはスゲエ人道的だぜ。まあヤケクソの最後の手段。て、冗談冗談。 あーあ。ビールでも飲もうかな。そのほうがレポート進むかな、、、。 それかマンガ喫茶、、、、ビデ試写? 、、、うーん。
いや。疲れました。 こんなのやってる場合じゃないだろ、と自己ツッコミしながら、まあこれも“道楽”だわ、と思いました。 ただ、今回もあんまり自信ない。自己満足ですな。ダメポ・・・。 小説版、URL変更してます。 http://blog.livedoor.jp/chisong_novel/ 宜しくお願いします。
今、一時的にマニラに戻っているのですが、また明日は日本です。 忙しくてなかなか更新できてない…というより精神的に疲れて更新する気が起こらないというのが正解です。今の状況をここでは詳しく書けないのでなおさら当BLOGを放置状態にしてしまいました。 ですから今日は抽象的な内容になりそうですが、まあ自分に対する気休めのつもりなので、ここは皆様ご容赦ください。 極限状態で人間はどうなるか、というテーマはどこでもありがちですが、実際は人間というのはこの場合、意外と平静のままで崩壊していくのだと知りました。先に言ったように具体的にそれがなんについての話かは置いといてですね、人間の「潔い散り方」みたいなものを考えていたのです。「死」そのものでなくても人間が散る時というのは人生のさまざまな節目で経験します。受験の失敗から失恋、失職、友人の死、身内の死、などがそれです。それらの共通項は「それまでの良く知る世界の崩壊」です。ですからやはりそれらは「自分自身の死」の予行みたいなものですね。さらに気取って名づければまあ「喪失」、といったとこですか…。それは過ぎるまでは凄まじい苦痛を与えるのですが、過ぎたあとにどうなったか、という結果は、実はこの苦痛にたいしてなにも作用するものではないのです。つまりこの場合「結果」とは彼岸にあるもので、喪失とは彼岸=そのあとに来たる世界、をカッコに入れて除外しなければならないのです。何故か? それは喪失が模倣する「死」というのが本来そういうものだからです。 その喪失を前にして人間はいかにあるべきか…。その前にまず、喪失を事前に認識しているかどうかが問題です。何も知らず後ろからピストルで撃たれて死ぬ場合、これは本題と関係ありません。正面からピストルを向けられて死の覚悟を強いられる場合にどうあるべきか、が今の私が問題にするところなのです。もちろん実際の死ではなくて喪失全般の話なのですが「死」をそれの隠喩として考えると例が豊富で理解し易いようです。 まず第一に、その際「死」から逃れようと抵抗するか、それとも向かって行くか、どちらが潔い散り方か…。 「特攻隊」をこんな場所で持ち出すのはなんというか不謹慎な気がするのですが、彼らはどちらでしょうか? 「死」に向かって行ったのは明らかなのですが、何か宿命的なものに抵抗しているような気もします。敵に対して、ではなく「無意味な死」に対して抵抗しつつ「死」に向かって行ったという、ある種両義的な行為だったのではなかったか。すなわち死を甘受しつつ、なし崩し的ではない意識的な死をもって死そのものの価値を高める行為というのが特攻隊の精神ではなかったか、と私は思うのです。 しかしまたその特攻隊の精神は美化するのははばかられる気もします。彼らの意識のなかにはこのような行為は自分たちだけで終らすという決意もあったはずです。あとを追う行為を愚かなこととして拒絶するようなある種の崇高さがそこにあると私は思います。 そこに見られる要素は、「犠牲」、「自己決定」、「行為の否定」、としましょう。 「犠牲」: 何かの価値を守るため、あるいは破壊するために自分を賭ける行為、と言うのは、実在した例では、西郷隆盛から野村俊介にいたる右翼(?)の志士たち、あるいは天安門事件のとき戦車の前に立ちはだかったオッサン、チェルノブイリ原発事故のさい最初に駆けつけて第一処置を行ない被爆して死んだ技術者(良く知らないが浅羽通明がどこかに書いてた)。フィクションでは北斗の拳の雲のジュウザ(自分の命=ラオウの右腕)、ポセイドン・アドベンチャーで水道バルブにぶら下がりながら水を止めて炎に落ちて死んだ神父、アンパンマン(自分の顔を食べさすから)、などなど。 ……ん? なんか調子出てきたか? 「自己決定」: 他か強いられるのではなく自分一人の責任において決意し、行なう行為。特攻隊は強いられたものじゃないか、と言われそうだが、私はこのへん実はよく知りません。たしかに志願の形式をとりながら限りなく強制に近い雰囲気というのが有ったと察せられます。麻薬を使用していたという噂も聞きます。しかし少なくとも大部分が最終的に自分で納得して、あるいは無理やり納得して運命を受け入れ特攻しに行ったのだと思うのです。なお、完全な自由意志において決意するという状況はここでは考慮外です。というのも「喪失」がテーマであるからにはそれは「死」と同様、我々に否応無く襲いかかるものだからです。宿命として甘受する、じたばたせずにそれと向き合う決意をする。これがここでいう「自己決定」なのです。例は、癌で亡くなった逸見政孝などでしょうか…。 「行為の否定」: これがけっこう重要で、この要素があるかどうかが例えばカルトによる洗脳状態の行為と区別されるポイントです。自分の決死の行為を賛美しないという態度を取れるかどうか。9・11テロの実行犯は死んだらもちろんイスラム世界から彼の行為と彼の死を支持され、また神にも祝福されると信じていたはずです。あと、あの世では200人(?)の処女と交われると約束されていたらしいっスが、いや、もしそれを信じられたら、絶対そうだと思い込んだら私も突入していたかもしれません…が、しかし処女ばっかり200人ってちょっとキツくはないか? いろいろ混ぜといてもらいたいものですが、まあそれはさておいて、もちろん見返りもない、賞賛もされず人々の記憶にも残らない孤独の中の「死」は実際耐えられるでしょうか? 三島由紀夫はバルコニーに集まった市谷駐屯地の自衛隊員に罵声を浴びせられながら、それでも意思をかえず自害しました。三島ははたして自ら選んだ死をどのような価値を見込んでいたのでしょうか。多くの三島論が有りますが、三島の主義主張を支持する者もこの死だけは茶番と言わざるをえない、といった意見が多いようです。三島を巡る論評で有名なのは小林秀雄とその弟子の江藤淳の対談で、それまで師弟関係らしいピンポンのラリーのように軽快に進んでいた対談が三島の死の話題になったとき突然その時だけ決裂してしまったのです。三島の死を茶番とかなんとか言った江藤に対して小林が「君、あれを茶番だなんて…」と絶句したわけです。その後の論の展開は良く憶えてないのですが結局お互い突っ込んだ話を避ける様に終ってしまったのだと思います。私は小林の方がどうかしていると思うのですが、それは三島の思想を追求した上のことではもちろんなくて、ていうか三島の本なんか2~3冊くらいしか読んでないし…。で、単に時代のずれを考慮しても手塚アニメのような改造軍服でアジる三島は明らかに「絵」的にイケてないし、バルコニーの演説ではマイクロホンを用意していなかったのと自衛隊員の野次のためにほとんど聞き取れられず無意味だったこと(後半だれかから拡声器が届けられたらしいが)、また切腹した時、弟子(森田必勝?)が介錯をなんどもしくじって首が落ちず三島はあまりに痛くて舌を噛もうとしていたとか、こういうスマートに行かないマヌケさがこの三島事件を特徴付けている気がするのです。だいたい弟子も引き連れて乗り込むなんて絶対潔くない。しかし、彼の死のうちで先の「自己決定」と「行為の否定」、だけは有ったのではないかと考えるのです。三島の親友の評論家、奥野健男は三島がバルコニーの演説の直後、自死の情熱が失せていた可能性が高いことを論理的に示唆していますが、人間の一般的な心理としてそれはよく腑に落ちます。いろいろ情熱を込めて計画していたことがその実行する直前になんか醒めてしまったような経験、ありませんか? 例えばカメラが欲しくてバイトしてお金を貯めて、いざ買うときになって「あれ、ホントにこんなの欲しかったのかな」と醒めてしまいながら、まあ仕方ないからとそのまま買ってしまうといった経験です。同様に三島が切腹の直前にすでに醒めていたならば、では、その後やはり自死に至ったのはなぜでしょうか? カッコがつかないのはそうでしょうが、でも自衛隊がノってこなかったこともあるし予定変更して撤収、というのもアリだったのではないか。まあ、弟子に対する意地もあるので決意を変えるのは簡単ではないでしょうが、一旦醒めた気持ちで自殺を遂行するのは並大抵の行為ではないと思うのですよ。三島をそうさせたのは何か。実は先の小林と江藤の対談は孫引きで、私が読んだのは福田和也の文章の中です。福田はその対談の三島の部分を引いたあと、しかし自衛隊が三島の演説と切腹によって決起した可能性が0.0000000001%くらいは有ったとして、その可能性に賭ける行為を、行為することにおいて評価出来るか出来ないかの違いがこの対談の決裂であるということを言っています(…うろ覚えです。書いてたこと全然違うかもしれないですが私的にはそうです)。つまり自衛隊が決起する可能性なんか万が一にもないことは三島も承知の上で、さらに事後、自分の行為が日本で、というか世界中で笑いものになることも覚悟していた。キリストのように何年か後に評価されることを期待していたともちょっと考えられない。正統でないし正しくもない行為で自ら命を絶たざるを得なかった、この、自分以外(弟子はどうか知らんが弟子に認められたいと思う奴はいない)の価値を捨象してなお「死」の行為を選び取ったそのことだけが唯一の価値だとして諦念する精神、…自分で何を言っているかよく分からんが、とにかくこういうのは潔いことは潔いわけで、評価できるのですが、いや、向こうは評価なんか望んでないので大きなお世話でしょうが、…まあそういうわけです。 <続く> |一覧| |
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