空母いぶき
【空母いぶき】「武力など使わなくとも、平和は維持できると信じてきた日本。それが幻想だと気付かされた最初の総理が俺か・・・。石渡、責任はどうやって取る?」「・・・」あけましておめでとうございます。皆さん、お健やかに、のんびりと、このお正月をお過ごしのことと思います。本年も吟遊映人を何とぞよろしくお願いいたします。さて、令和になって初めての記事はこちら、『空母いぶき』についてである。なぜこちらの作品を選んだかについては割愛する。だが、新年早々ただならぬ内容を扱ったこの作品を見たことで、正月ボケが一気に吹き飛ぶこととなった。と言うのも、『空母いぶき』は日本国憲法第九条に対する限りなく批判めいた、それでいてどこかで肯定するかのようなジレンマを絶えず感じさせる、主義主張としてはかなり不安定な作品だからだ。おそらくきっと、原作を掲載していた『ビッグコミック』誌上では、作者の主張がよりハッキリとしたものであることは間違いない。問題はそのオリジナルのマンガをどの程度脚色し、演出し、実写映画化したのか、と言うことである。残念ながら私はオリジナルの方を知らない。あくまでこの映画作品が私の中の〝オリジナル〟であるから、この作品について思うことを忌憚なく記事にしたい。まずはストーリーについて。12月23日、巷ではクリスマスを目前に華やいだ雰囲気に包まれていた。一方、日本の領海の南端に位置するハルマ群島の初島には、国籍不明の船団が上陸した。日本の領海・領土を侵したのは東亜連邦であった。日本国政府は海上警備行動を発令。海上自衛隊・第五護衛艦隊を派遣。センターは空母いぶき、周囲を守るのは護衛艦あしたか、いそかぜ、はつゆき、しらゆき、そして、はやしおの5隻。さらには潜水艦を含む部隊である。ある種のテロ集団である東亜連邦による先制攻撃のため、いぶきが損傷。いよいよ大掛かりなミサイルや魚雷の攻撃が始まる。内閣総理大臣の垂水は、次々と伝えられる戦況報告に緊張を隠せないでいた。日本国憲法第九条にがんじがらめとなり、強硬派の意見を抑えることがやっとのような状況にあった。東亜連邦は、国際法や外交上の常識がまともに通じる相手ではなく、悠長に対話による解決策など講じる余裕は全くなかった。事態は刻々と悪化していくのだった。ざっくり言ってしまえば近年の尖閣諸島問題をテーマにしている。無論、領海侵入したのは中国で、日本の実効支配打破を目的としたものであることは言うまでもない。当時のニュースでも話題になったことだが、日本の領土・領海である尖閣に、中国公船が平気の平左衛門で侵入することが常態化してしまったのである。日本政府も、それはもう慌てた。寝耳に水の状態になって初めて「ヤバいぞ」と、重い腰を上げたわけだ。なにしろ、重大な領海侵犯であるにも関わらず、政府としてはその成り行きを指を加えて見守ることしかできない。(その理由は今さら言うのも憚られる)一部のリベラリストは、「共同領有」とか「平和的な対話で」などとキレイごとを並べる。だがそれは不可能である。政治についてまるで疎い私でさえ、地政学的に尖閣諸島は死守しなければならない日本固有の領土であることは理解している。『空母いぶき』は、おそらくこの問題を婉曲的にテーマとして取り上げたかったのであろう。とは言え、近い将来こう言うことが起こるかもしれないと言うシミュレーションからは程遠く、正直リアリティに欠けていた。〝反戦〟と言うテーマを掲げるのだとしたらあまりにも稚拙で無謀な設定だし、〝憲法改正〟を訴えるものだとしたら主張がブレすぎて分かりづらい。まるで映画制作者の意図が読めず、不安定極まりない内容である。不幸中の幸いなのは、このような脚本であっても主役に扮した西島秀俊は冷静で落ち着いた演技を見せてくれたし、総理大臣役の佐藤浩市もびっくりするぐらい徹頭徹尾政治家らしい政治家を演じてくれた。それはもう見事な演技力である。さすが。プププと笑ってしまいそうになったのは、ラストの方で、コンビニで働くアルバイトの女の子が店長に向かって「メリークリスマス、サンタさん!」と言うシーン。これってもしかして『戦場のメリークリスマス』へのオマージュなのだろうか?閑話休題。百歩譲って、この作品をエンターテイメント作品として捉えたとき、怪獣を相手に必死で自国を守ろうとする自衛隊の姿を描いた『シン・ゴジラ』の方に、私は軍配を挙げてしまうだろう。比較の対照にしてしまい、申し訳ないが。そう言う意味で、皆さんにおすすめはしないけれど、西島秀俊ファンが最後の砦となる作品、とだけ付け加えておこう。【2019年5月公開】【監督】若松節朗【出演】西島秀俊、佐々木蔵之介、佐藤浩市