混淆する芸術「国境を越えた文学、アジアを結ぶ映画」という韓国文化研究センターのシンポジウムで思ったこと。日本映画学校などで学んだアジアの映画人が今各国の映画界で活躍していると聞いた。 技術や手法を伝える日本、そしてそんな時代。 日本と関わる映画のテーマはかつては美と滅びだった。『族譜』や『李朝残影』(タイトルからして美の滅亡を示唆しているよう)。 そんな時代を経て今は過渡期なのかとも思う。 美と滅びのテーマに見られるような歴史を哀惜するテーマから 歴史を読み直そうとするテーマへ。 あるいは歴史も国境も越えた恩讐の彼方に世界共通の価値感/共感、icon(アイコン)や個性で惹きつけるテーマ。 中世などは東も西も宗教が創造の原動力、 インスピレーションの源だったりしていたが 今はコンテンツの個性の強さが創造の源泉になり、interactiveに世界を駆け巡る。 宗教という大地のようにゆるぎないテーマが創造や発想の源になっていたのと異なり 人も物も情報も移動する「ディアスポラ(移住)」する現代社会では普遍的な個性(かっこよさやおもしろさやかわいさ)と感動がincentiveになっている部分もある。 ある地域の(限定された空間の)歴史から創作の源流をひもとく、過去を探求する旅を 眼前のシンポジウムで感じながら 心の中では地球全体を覆うコンテンツと価値の伝播から同時代性を鳥瞰する旅を感じていた。 前者は時間的な旅で後者は空間的な旅... かわいいか、かっこいいかそれが問題だ。 'Cute or Cool: that is the question(by 21st century's Hamlet?) 国境を越えた文学、アジアを結ぶ映画 -梶山季之、申相玉、林權澤をめぐって- Copyright 2003-2007 Dalnara, confuoco. All rights reserved. ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|