Marlene & LeniMarlene & Leni 2003年記。8月に101歳の誕生日を迎えたばかりで先日亡くなったレニは1902年ベルリン生まれ。 一方マルレーネは1年早くベルリンで生まれている。 ふたりは町ですれちがうことはなかったのだろうか。 ギリシャ神話のヤヌスの2つの顔のように あるいはその戯曲でふたりがドイツの姉妹として描かれているように2人は同じ時代を闘った女神のすがたで重なっている。 お気に入りの映画の一本が『嘆きの天使』だったヒトラーは マルレーネに自分の映画への出演を要請するが彼女は断って母国を去った。 その後は反ナチ運動に積極的に参加した。 ドイツ時代の映画は『モロッコ』や『上海特急』を観た記憶がある。 アメリカ時代の映画はアガサ・クリスティ原作の『情婦』を観た。 ヒールを脱ぎ捨て熱い砂の上を裸足で歩いていく姿や愛する男を助けるための、冷淡に見えて熱い愛情表現が印象的だった。 アメリカの市民権をとった彼女はドイツにかえれなかったようだ。 お墓はパリにあるはず。 「外国は故郷にならなかったけれど、故郷は外国になってしまった」 第2次世界大戦中ドイツの敵国アメリカに渡った彼女は 生まれ故郷を切り捨てた苦しさを抱えていたかもしれない。 ヒトラーはワーグナーを崇拝しレニを賞賛していた。 戦後レニはヒトラーに加担したとして 母国ドイツからも冷ややかに遇されたと聞く。 マルレーネは戦前のドイツと距離を置き レニは戦後のドイツに距離を置かれていた。 どちらにとっても故郷は外国になってしまっていただろう。 その点でもむすびつきそうなふたりの像。 外圧におしつぶされない強靭な精神と個性、creativity。 似ている。向いていた方向が違うだけ、ヤヌスのように。 剄いミューズたちに敬意を持っていた。 試練を乗り越え創造力を失わず活力に溢れ長寿を全うしたふたりの女神。 彼女たちに比べたらそれほどの修羅場をくぐりぬけたわけでもなく マッカーサーの言う12歳の少年のように自分が小さく幼く見える。 (正確には『近代文明の尺度で計ると、われわれが45歳であるのに対し、日本人は12歳の子供のようなものだ』) でも、むかし見た『オリンピア』(『民族の祭典』『美の祭典』)は 時代のありのままを撮っていたような気がした。 開会式のシーンには第3帝国が出てきていたが...。 私が今もおぼえている一コマは陸上棒高跳びでの日米決戦のようす。 競技も応援もすごくおもしろかった。 羽織袴で扇子に日の丸の日本応援団と 紺ブレ(白黒映画だが...)にパナマ帽のUSAコール。 buzz KOREA Click... にほんブログ村 韓国映画 にほんブログ村 映画 にほんブログ村 映画評論・レビュー にほんブログ村 韓国情報 にほんブログ村 K-POP にほんブログ村 Copyright 2003-2021 Dalnara, confuoco. All rights reserved. 本ブログ、サイトの全部或いは一部を引用、言及する際は 著作権法に基づき出典(ブログ名とURL)を明記してください。 無断で本ブログ、サイトの全部あるいは一部、 表現や情報、意見、解釈 ロジックや発想(アイデア)・視点(着眼点)、写真・画像等もコピー・利用・流用することは 禁止します。剽窃厳禁。 悪質なキュレーション Curation 型剽窃もお断り。 複製のみならず、翻案等も著作権侵害です。 |