今宵はドームでもマッコリ・ヌーボーでもなく
萩尾望都原作・脚本
野田秀樹脚本・演出の韓国版「半神」へ。
東京芸術劇場・明洞芸術劇場国際共同制作。
あらすじ
妹に栄養分を吸い取られて枯れ木のように醜い姿だが高い知能を持つ姉シュラ(チュ・イニョン)と
美しいが頭の弱い妹マリア(チョン・ソンミン)。
ふたりは体の一部がくっついたシャム双生児として生まれて来た。
美しいゆえに愛されるマリアと
醜いゆえに愛されないシュラ。
ふたりが十歳のある日重篤な病にかかったが
治す方法はひとつしかないという、それは...
出演者はすべてオーディションで選ばれた韓国人俳優。
主演ふたりは
ポスターの表情とは異なり
活き活き愛らしくて良かった。
特にシュラの10歳の子どもらしい愛らしさと
子どもらしくない思索性を表現した姿は
抱きしめたくなるくらい、なんともいえない愛おしさを醸し出していて
魅了された。
K-Popアーティストもそうだけれど...
スチールではない、スチールではわからない
動いてわかる魅力、
ムービーの魅力、韓国人の動き身体性の魅力があらためて感じられる。
ちなみに野田秀樹も
「韓国の役者は層も厚く
身体能力が非常に高い」と語っていた。
ミュージカル俳優ではないのだが
全員歌も上手く...
野田作品二回目のオ・ヨンさんは老数学者役。
演劇だけでなく
さまざまな映画でも活躍されていますね...
『殺人の追憶』や
『殺人の告白』など...
(どおりで見覚えがある方だなぁ、と)
シャム双子の話と言えば...
ク・ヘソン監督『桃の木』も少々想起。
萩尾望都の原作「半神」は
わずか16ページの掌編なのだが、
アイデンティティに関わる
自己と他者の間に横たわるものについての深い洞察が
表現されていて...天才としか表現しようがない。
(以下、舞台の核心に触れる部分もございます)
シャム双生児は成長するにつれ
いつかは切り離さなければならない状況になるのだが...
(原作で)
切り離され、シュラ(ユージー)から受け取っていた栄養分を
受け取れなくなったマリア(ユーシー)は干からびて行く、かつてのユージーのように。
親と子の関係、あるいは自分が親としての子との関係など
切っても切り離せない、写し鏡のような自己との相似形との関係も想起させ
双子の間に起こることとは限らない、普遍性、普遍的な響きを感じさせる。
人はひとりで生きられない。
そしてそれは親から子、親となった子から子へと
人類の生と孤独の記憶はらせん状に意識下に刻まれていく。
愛よりも
もっと深く
愛していたよ
おまえを
憎しみも
かなわぬほどに
憎んでいたよ
おまえを
わたしに重なる
影―――
わたしの
神―――
切り離せない裏表のような
愛憎、切り離せない他者との関係を考えさせて普遍的。
舞台では
空の棺を用いて
死んだのはシュラなのかマリアなのか
謎の渦を巻き起こし思索させる演出だった。
選曲がなかなか良かった!
特に韓国歌謡...(曲名を知りたい...)なのですが、
ベートーヴェン
不滅のアレグレットが使われていて
アゴタ・クリストフの双子もの『悪童日記』(映画版)も同じ曲、と
符号を感じたり...
南漢山城に行った時は
このBeethoven Symphony No.7 II. Allegrettoを
泣きながら聴いているイ・ソンギュンを思い出したり...
(ホン・サンス『ソニはご機嫌ななめ우리 선희Our Sunhi』)
理系、Geekとしては
宇宙的六次元の世界観もおもしろかった。
1/2+1/2=2/4の
2/4のままでは人間界に行かれない、1/2にならないと...
という、シャム双子には残酷な摂理。
スフィンクスのなぞなぞに連なって...
(1/2は頭がひとつで足が二本の人間を表す。
2/4は頭がふたつで足が四本のシャム双生児、シュラとマリアを表す)
マッコリ・ヌーボーの日、
2012年は11月だった。
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