テーマ:テニス(3384)
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アメリカでよく使われる表現に「It ain't over until it's over」というのがある。終わるまで結果はわからないという意味で、形勢の悪い方に僅かの望みをかける時に使われる。昨晩のアンドレ・アガシのヒロイックなパフォーマンスがこの言い方にぴったりだった。結果はニューヨーク時間の午前1時を過ぎて出た。
全米オープンはテニスの4大イヴェントのひとつで、男子の場合5セットのうち3セットを先取しなければならない。アガシの出だしは悪かった、というより対戦相手のジェームス・ブレークの出来が恐ろしくよかった。動きの速さ、威力あるグラウンドストロークの正確さでアガシを圧倒した。ブレークがいきなり2セットをもぎ取ったのだ。第3セットもアガシのサーブを破って3-2とリードした。誰もが35歳アガシの限界を感じた。次世代の一翼を担うブレークにバトンを渡す日が来たのだ、と解説のマッケンローも思っただろう。 アガシ自身はどう感じていたのだろう。「試合が始まった時の感触は悪くなかった。ところが、ブレークがバシバシ打って来るんで、なんか自分もつられてリズムを崩してしまった。」つまり、相手のペースに巻き込まれたのだ。 「Go for broke」という表現がある。太平洋戦争中に日系アメリカ人の部隊がこの言葉を合言葉にして勇猛な戦いぶりを示した。当たって砕けろとかやるっきゃないという感じに訳せる。アガシがそう感じていたかどうかわからないが、見ている僕達にはそう映った。リスキーな左右のコーナーへしっかりときめ始めた。と同時に、息切れしたのか、ブレークがサーブをダブルフォールトし始めた。アガシが第3セットをものにした。 テニスは非常にメンタルなスポーツだ。技量の接近したもの同士の対決、コートの左右の角にボールを正確に打たない限り勝てない。ボールの正確な打ち分けは精神面の強さがないとできない。自信を失くしたら負けだ。 第3セットをとってアガシの自信が復活した。ブレークに焦りが見え始め、なんでもないミスが増えた。第4セットもアガシがとった。 最終の第5セット、エピック・バトル(epic battle)と呼ぶに相応しい二人の打ち合いだった。深夜にもかかわらず1万数千人の観客が一球一打に歓声を送った。試合後アガシが言っていたが、「シュールリアルな(現実を超越した)雰囲気」がミッドナイトの靄のようにアーサー・アッシュ・スタジアムを包み込んでいた。 第5セットはどちらも譲らずタイブレーカーに縺れ込んだ。4大イヴェントのうちで最終セットにタイブレークを実施しているのは全米オープンだけだ。他の大会では、最終セットはどちらかが2ゲーム差にするまで戦われる。1ゲームは4ポイントを最低2ポイント差で先取すれば決まる。タイブレークの場合は、どちらかが7ポイントを最低2ポイント差で先取すれば終わりだ。 タイブレークはアガシが8-6で制し、準決勝への進出が決まった。 ジミー・コナーズを覚えているだろうか。1991年に39歳で全米オープンの準決勝まで進出した、童顔で茶目っ気たっぷり時に審判に食ってかかったサウスポー、マッケンローとともにアメリカのテニス界を代表した男。35歳で準決勝に出るというのはコナーズ以来の快挙だ。 試合後ブレークが言った。「試合に負けてこれほど気分がいいことはまずないだろうな。いつもだったら負けた時ってすごく落ち込むもんだけど、今日は別だね。アガシは俺のアイドルさ。」 「今日の試合までは観衆はずっと俺に声援を送ってくれたけど、今日ばかりはアガシへの声援の方が多かったな。」 「アガシがいつ引退するかって話題になってるけど、俺に言わせると、何でさ、と思う。アガシは今も世界のトップ選手だよ、何で引退しなくちゃいけないんだ。アガシ自身がこのゲームを楽しんで自分を奮い立たせることができるんなら、まだまだ続けるべきだよ。」 一方のアガシは試合後のインタビューで観客に向かってこう言った。「まず最初に一言、真夜中の午前1時15分に2万人もの人がまだ観客席にいる。こんなことってちょっとありえない。今晩の試合で勝ったのは僕でもなければジェームスでもない、今晩勝ったのはテニスというスポーツだと思う。」 試合中はコーチを受けることは許されず自分だけが頼りだ、5セットを勝ち抜くためにはマラソン並みの持久力と100メートル走並みの瞬発力を要求される、チェスやゴルフと同じような集中力と自分に対する自信を持たない限り並み居る強豪に競り勝つことはできない、140マイルのサーブと7色のスピンを確実に把握する眼力と逆にそれを打ち出す筋力を鍛錬すること、左右に打ち分けたりドロップショットで相手を揺さぶったりサーブの場所を分散させる戦略がなければ勝てない、審判の誤審に怒って冷静を失ったらそのゲームはおろかセットも落としかねない、これだけいろいろな面での技量を要求される個人と個人の戦いも珍しい。 深夜の熱戦でその技量のすべてを堪能した観客は、試合終了直後のアガシとブレークの男と男の抱擁に今日味わった感動をもう一重深く心の断層に刻み込んだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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