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この絵について語りだすときりがないのですが・・・よく指摘されるのは、イエスに加えられた傷に象徴されるリアリズム。けれどそれは決して「写実」ではなく、ここに描かれたものはすべて、画家の脳内で合成された観念的画像だ、という意味で、これは徹底したシュールリアリズムの産物でもあるのだと思います。
よく美術書などで、この絵の中でイエスだけが他の人物にくらべ異様に大きく、まるで巨人のように強調して描かれている、と解説されていますが、これもじつは強調して描かれているのではなく、遠近法のなせるわざなんですね。イエスの十字架の足元をよく見てください。何とマグダレーナより手前に立ってますよ(汗)。つまりこの絵は、イエスを十字架ごと切り取って、本来あるべき場所よりぐっとズームアップさせてあるんです。 そこで・・・ちょっと許されざるイタズラを(爆)・・・画像処理で、十字架を本来の場所まで引っ込めてみました(汗) まあもちろん、本来なら十字架自体もっと背が高いのでしょうが、そうするとイエスの上半身が絵からはみだしてしまうので(爆)・・・こうすると、イエスと他の人物たちとの身体比率もほとんど違和感がなくなるし、登場人物たちの配置がぐっと立体的に見えてきますね。十字架の根元、がっくりとうなだれたイエスの顔をまっすぐ見上げる位置にマグダレーナが、洗礼者ヨハネは全体よりやや手前の「解説者の位置」に、そして聖書の記述からすれば最も重要な登場人物であったはずの聖母マリアと使徒ヨハネからは、イエスの顔はほとんど見えない・・・後頭部かせいぜい横顔しか見ていないということに・・・(汗) こうして見てくると、中世以降の宗教画家たちにとっては、個々の場面を描くにあたって、聖書の記述そのものよりも、そこに登場する人物たちのイメージ、キリスト教の世界における位置づけの方がより重要であったことがわかります。そして代々の画家たちが、イエスの死といういわば悲劇のクライマックスにあたって、聖母マリアよりも、使徒・福音記者ヨハネよりも、素性もはっきりしないはずのマリア・マグダレーナという女性を、イエスの最も身近な人物として意識しつづけてきたということも・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.14 00:29:09
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