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・・・いつもこの手の連載に手をつけるたびに、ちょっと数回・・・のつもりが思わぬ大連載になってしまうんですが(汗)・・・果たして年内にキリがつくのだろうか・・・
当時衰退したオランダにかわって七つの海を制し、大英帝国の基礎を築きつつあった新興国家イギリス。外国人でも音楽の才能だけで身を立てることができた世界唯一の都市が、ロンドンでした。そのロンドンに到着して、ヘンデルは成り上がりの新興貴族のサロンなどを根城にして着々と地歩を固めていきました。オルガンなどの即興演奏の腕前で貴族たちの度肝をぬき、自作のオペラもつぎつぎに大ヒットをつづけ、この若いドイツ人作曲家はたちまちのうちに、世界のトップスターの地位に登りつめたのです。 ところが、意気揚々のヘンデルの前に、目が点になるような大事件が勃発しました。国王の急逝・・・いやもっと正確に言えば、子供に恵まれなかった前国王には後継者がなく、その結果もっとも近い血縁者であったハノーバー選帝侯ゲオルクがジョージ1世として即位してきたのです。 ハノーバーといえばヘンデルが楽長の職を放り出してきた土地。言ってみれば職場放棄して副業に精を出していたら、いきなり元の上司が新しい職場に社長としてやってきたようなもので・・・さぞあわてたでしょうな(爆)・・・このへんから有名な「水上の音楽」のエピソードが・・・新国王の不興をそぐため、王宮の舟遊びの際、こっそりと楽員を乗せて王の御座舟に近づき、とっておきの新曲を・・・というやつで、非常によくできた話ですが、これは真っ赤な嘘のようです(汗) ジョージ1世というのは結構さばけた人物だったようですし、名ばかりとはいえかつての配下が今や飛ぶ鳥落とす人気作曲家として活躍しているのを見てそれなりに鼻を高くしていたようで、ヘンデルの職場放棄については不問に付されたらしいです。 こうして英国宮廷付作曲家としての活躍にも拍車がかかり、「水上の音楽」などパーティ用のほか、さまざまな王室の儀式用の音楽なども生み出されました。先日UPした戴冠式アンセムもそのひとつですが、こうした儀式や宴会の余興のための曲というのは、その機会のために作曲され、終わってしまえばそれっきりという、いわば使い捨ての消耗品だったんですね。・・・ヘンデルのこうした曲がいまも演奏されるのは、たまたま王室図書館に楽譜が残ってて、後世出版されたからにすぎないんです。これほどのすばらしい音楽を使い捨てとは何とももったいない話ですが、その当時は音楽なんてそんなものでしてね。まあヘンデルの才能をもってすれば、アンセム1曲など書き捨てるのは朝飯前だったでしょうが。 そしていよいよ、ジョージ1世の後援を得て、ヘンデルは自前のオペラ劇団・・・王立オペラアカデミーを設立し、その経営に乗り出すことになりました。国立歌劇場支配人兼音楽総監督、といったところですね・・・しかし、音楽の才能だけではやっていけないのがエンタメの世界。一見華やかなその裏側は、まさに泥沼の伏魔殿・・・というのは昔も今も変わりませんね。ヘンデルはやがて、その世界の恐ろしさを身をもって知ることになるのです・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.22 22:45:21
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