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ヘンデルがロイヤル・オペラを立ち上げたのは、1719年、34歳のとき。それからの30年ばかりは、ヘンデルにとってはまさに悪戦苦闘の連続、といった日々でした。
このころのオペラというのは、市民のもっとも手軽な娯楽ですので、今でいえばさしづめ売れっ子ミュージシャンが政府出資の映画会社かテレビ局の社長におさまったようなもの。ヘンデル自身も劇場の一室に寝起きして、作曲・指揮はもちろん、宣伝企画に歌手のスカウトまで、ありとあらゆる雑用が押し寄せてくる毎日。まあスタジオに寝泊りして24時間戦い続けてるようなもんですね(汗) とくに彼を悩ませたのは、舞台は自分でもっていると思い上がった歌手たちのわがままで・・・開演直前になって曲の改造を要求してくるなんてのはザラで、明日の初演を前にストーリーが書き換わり、徹夜で作曲とリハーサル、なんて、現在でもよくある話のようですが。 さらに恐ろしいのは、移ろいやすい聴衆の心。やっぱりその時代から音楽にも流行がありますから、単に新曲を出すだけでなく演出面や題材にも常にその時代の先端を取り入れる努力がいりますし、しかもヘンデルの成功をみて雨後のタケノコのように商売敵が出現する。著作権なんてものがない時代ですから盗作・流用なんてあたりまえ、自作と称して堂々と他人のヒットナンバーをとりこんだ悪質な作品が横行して、下手するとどんどん客を奪われていくんですね。 「庶民はちょっと気の利いたメロディに、ありふれた和音がついてるぐらいで十分なのさ。この町の人間には、あんたの音楽は立派過ぎる。」 そんなセリフを吐いて励ます仲間もいたようですが・・・そんなことを言ってもらっても事態の打開にはならないわけで(汗)・・・さしものヘンデルの人気と実力をもってしても、劇場の経営は徐々に不振におちいっていきました。 いかに王室がバックについてるとはいえ、劇場そのものは独立採算制ですから、赤字を垂れ流すわけにもいかず、連日のハードワークがたたって彼は次第に身体の不調をきたすようになりました。それでも止まらないのは歌手たちのスキャンダルに商売敵との中傷合戦、おまけに王室をめぐる政争にまで巻き込まれ、ついに52歳の夏、脳卒中を起して倒れたときには、世間はもはや彼の再起不能を疑いませんでした。・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.23 16:47:52
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