睡眠薬
裕子は鞠子に相談しようかと思ったけどやめておいた。鞠子は裕子が言ったことを時々否定する娘だからだ。 焼きそばのときだってそう。裕子が横浜のデパ地下に焼きそばが美味しいお店があるのって言ったら鞠子は携帯の向こうで、「焼きそば!?」とす叫んだ。「そう中華の焼きそば」「あのね、焼きそばは私の中では所詮海水浴なのよ」「何よ、それ」「夏休み海水浴に行って、スイカや氷いちご食べ過ぎないように、ホラホラ何か食べましょう。あっ! 焼きそばがいいわ。美味しいわよう」「それ、私の真似?」「うん何十年か前のママ」「なんか、嫌なこと言う子だね」「とにかく海水浴の延長にある焼きそばはいくら横浜のデパ地下でも存在しないと思うわ!」「あなたは美味しさというものを知らないのよ」「知ってるわよ」 それで電話が切れた。サスガに裕子はその後電話をかけるのをためらっている。それに内容が睡眠薬のことだからだ。 薄暗くなって来た街のビルに入って大きく息をしながらエレベーターに乗った。開いたらピンポーンと音がした。いくつかあったドアの鍵を閉めようとしていた男性が振り向いた。「先生、もう無理ですよね」 裕子は小走りに近づいたら転びそうになった。危ないからパンプスは止めようと思うんだけどいまだにやめられない。「大丈夫ですか」 神経内科クリニックのかと先生が裕子に近づいて来た。一瞬の後裕子を呼んだ。「片山さん、片山さん大丈夫ですか?」 裕子にとってはこのクリニックに3年前に来たきりで今日は二回目。それでも自分の名前を覚えてくれたのに感動した。ますますこの先生にすがりたいと思った。「先生、私、この頃眠れなくて」「そうですか、睡眠薬さしあげますよ」 裕子は「えっ」という顔をした。そんなに簡単にもらえるなんて思ってもいなかったから。 かと先生は大きくドアを開けてドアストッパーで止めた。そして「どうぞ」と裕子を誘った。まるで大奥さまを招く執事のようだった。睡眠薬