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テーマ:温泉(1013)
カテゴリ:下部(しもべ)温泉
JR身延線・下部温泉駅 は、1927年(昭和2年)12月17日、富士身延鉄道の身延ー市川大門間の開通時に、下部駅(しもべえき)として開業しました。
1941年(昭和16年)5月1日に国有化され、国鉄身延線の駅となり、その後の民営化に伴い、下部温泉駅に改名されました。 下部駅:奥が下部ホテルです。昭和初期には後藤新平も滞在しました。 徐々に建物が増えていきます。 かつての駅前広場は道よりも低かったことが分かります。 石原裕次郎が滞在していた時(昭和36年)には、駅が人であふれるほどだったそうです。 松林にも風格が出てきました。 昭和61年かいじ国体開催時の下部駅。国体のユニフォームになぎなた・・・旧下部町はなぎなた競技の会場でした。 現在の下部温泉駅。残念ながら無人駅になってしまいました。左に見える雨除けは今はありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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連載でのご紹介、ありがとうございます。
今回の内容で、最後の写真、すなわち「現在の下部温泉駅」という写真ですが、もはや貴重な過去の状況を記録した写真かと思います。 リアル現在では、写真の左端の雨除け施設が取り払われ、さらに簡素な駅舎となってしまっています。ちなみに、県道に面した雨除け施設は、古いレール(廃材になったもの)を構造材として転用していたものでした。 「・・・でした」というのは、もう今はそれは存在しないからです。 時間の経過は、「光陰矢のごとし」と昔の人がいったてほど、すさまじく早いので、立った今の「現在」は、数秒後には「過去」になってしまう。この記事で見せていただいた「現在の下部温泉駅」は、当方にとっては、とても懐かしいものと感じられました。 なお当方は、次の関係するブログ記事を残しています。 https://bnvn05.blog.ss-blog.jp/2018-01-17-1 (2021.10.03 23:47:31)
今はない雨除けはそんな貴重なものだったのですね。
まさに矢のように過ぎ去って・・・そして戻らないのですね。 いつも醍醐山を愛する会の活動を温かく見守ってくださってありがとうございます。 これからもよろしくお願いいたします。 (2021.10.04 07:31:55) |