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2009年11月19日
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カテゴリ:大川 充夫
大川充夫です。夜は靴下をはかないと足が冷たくて寝られません。

さて、昨日(18日・水曜日)、船橋競馬場ではアジュディミツオーの引退式がおこなわれました。
引退式は、名馬(という言い方は陳腐ですが)、まさに、まぎれもなく名馬であるアジュディミツオーの、その競馬場における最後の勇姿を見ようと駆けつけた多くのファンのみなさまの声援をうけ、第4レース終了後(ちょうどお昼ころ)におこなわれました。



アジュディミツオーは2001年、北海道静内郡静内町生まれの鹿毛馬。2003年9月にデビュー戦で初勝利をあげ、翌04年6月には第50回東京ダービーを制覇。その年の12月には第50回東京大賞典を制してGIホースとなりました。
05年3月には、地方所属馬としては初めてとなるドバイワールドカップ参戦。6着と健闘しました。
05年12月には東京大賞典で史上初の連覇達成。06年1月の第55回川崎記念、同年6月の第18回かしわ記念と、立て続けにGI制覇。06年にはカネヒキリとのデッドヒートを制してコースレコードで第29回帝王賞優勝。南関東の古馬GI全制覇をなしとげました。
2005年、2006年とNAR年度代表馬にかがやいています。



引退式では、まずアジュディミツオーが内田博幸騎手を背にラストランとして馬場を1周し、その後、オーナー、主戦騎手、管理調教師から挨拶。関係者への花束贈呈、つづいて人参のレイをかけられたアジュディミツオーの記念撮影、という順ですすみました。




アジュディミツオー馬主:織戸眞男さんの挨拶
「ミツオーは、おかげさまで種牡馬になります。繋用先は北海道ひだか郡のアロースタッドでございます。
4年後にはミツオーの子供が、この船橋競馬場で走ることと思います。どうぞご期待いただきたいと思います。
本日はこのように立派な引退式を行っていただき、まことにありがとうございました。今日は好天に恵まれ、多くのファンの方にご来場いただきまして、ミツオーもさぞかし喜んでいることと存じます。長年にわたりミツオーをご声援ご支援いただきまして、ありがとうございました。ファンのみなさま本当にありがとうございました。」


主戦騎手:内田博幸騎手の挨拶
「僕は、川島先生・川島厩舎、またこのアジュディミツオーという馬で日本全国に名前を売り、また勝ち星をあげました。地方でたくさん勝たせてもらってJRAにうつりました。
JRAでリーディングをとるってことは、川島先生やミツオーへの恩返しになると思うので、本当にがんばっていきたいと思います。
ミツオーはまだまだ走れるような気迫がある馬ですけど、これから種牡馬になってたくさんの子供が生まれてくることと思います。その背中に自分が乗り、また大きなレースをとれることを期待して待ってます。」


管理トレーナー:川島正行調教師の挨拶
「今日は船橋競馬場にご来場いただき本当にありがとうございます。
今日も本当に良い走りをしてくれたなと、ミツオーの走りを涙をこらえながら見つめていました。今日は生産者の方も来られています。この思いをミツオーの子に託して、子供がこの船橋競馬場で走る姿をみなさまぜひまたご覧にいらしてください。」



式ではオモテに出ることはありませんでしたが、構内でアジュディミツオーのラストランの様子や、式の様子をじっと見つめていた佐藤裕太騎手にも話を聞くことができました。佐藤裕太騎手は、アジュディミツオーの主な調教パートナーとして、長く、そして誰よりも多く、アジュディミツオーの背中にまたがったひとです。


調教パートナー:佐藤裕太騎手の談話
「おつかれさまでした、のひと言ですね。
(思い出に残っているのは)ドバイに行ったときのこと。レースの20日も前にむこうに入ったんですけど、あとで思うと、レースまでにああすればよかった、こうすればよかった、と後悔することが多くて悔しいですね。
ドバイでは、あわせ馬をする相手がいなくて、1頭で調教していました。(アジュディミツオーは)普段はイレこむ馬なんですけど、1頭の調教をしたせいで、別の馬なんじゃないかと思うくらい落ち着いちゃって、レースで力が出せなかったですね。
(6着は立派な成績だと思いますが?の問いに)本来のミツオーの力ならもっといい勝負できたはずと思います。あのときはそのくらい調子が落ちていました。
ベストレースは、(06年)帝王賞ですね。カネヒキリを負かしたのがね。あとはやっぱり、自分で(レースに)乗ったときのこと(08年ダイオライト記念)ですかね。」



ファンのみなさまはもちろん、引退式の様子を見ようと、関係者も大勢、馬場近くまで出てきていました。船橋競馬の輩出した偉大な馬・アジュディミツオーの姿をカメラにおさめようと、報道関係者以外の方々もカメラをかまえていました。

わたしも撮ってみました。
アジュディミツオー引退式1
ええと、ケイタイで撮ったもんですから、そして走りが速いもんですから、ちょっと…な写真になってしまっています(汗)。


さらに。
アジュディミツオー引退式2

もう一丁。
アジュディミツオー引退式3



最終レース終了後には、パドックで、あらためてアジュディミツオーとの記念撮影会がおこなわれました。ファンのみなさんがアジュディミツオーとならんで写真におさまることができるという得難いチャンスに、多くの方が参加されたようです。
アジュディミツオー引退式4
アジュディミツオーもおとなしく写真におさまっています。


そして、名残惜しそうに遅くまでその様子を見つめている、たくさんのファンの方々。手前には有名な名作応援幕「逃げ馬だもの」がかかっていました。…これも見納めです。
アジュディミツオー引退式5



多くの大レースをものにし、名勝負を見せてくれ、その強烈な強さをわれわれに見せつけたアジュディミツオーもとうとう引退しました。次は数年後、ある馬の血統欄、父のところにその名前があるのを見つけたときにまた、この馬の強さやレースぶりを思い出すことにしましょう(いや、それまでに思い出しちゃイカンという意味ではなく)。


おつかれさまでした。アジュディミツオー。





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最終更新日  2009年11月19日 07時47分29秒
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