|
テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:語りもの
祖父は医療従事者で、61年前の今日、爆心地から2キロか3キロくらいの場所にいた。
祖母は、沼田という地に疎開をしていた。 祖父は、幸い、熱戦の被害を受けることはなくて、 出会う人出会う人、手元にある限りの薬を分け与えたらしい。 あっという間に、底をついてしまったのだそうだけれど。 私が始めて葬儀に出たのは、祖父が死んだ時で、 お骨上げの時に、骨って焼けたらこんなにさらさらになるんだね、と言うと、 おじいちゃんは特別だから、と母にいさめられたことを覚えている。 祖父が特別だから、という意味を知ったのは、いつだっただろう。 私は、祖父から、一度も原爆のことを聞いたことはない。ただの一度も。 祖父のことを話してくれたのは、祖母だった。 ポツリポツリと語ってくれるとき、祖母は、決して原爆とは言わなかった。 祖母にとって、61年前のあの日は、「原爆が落ちた日」ではなく「ピカが落ちた日」だったのだ。 私は、被爆三世にあたります。 広島には、被爆三世なんて掃いて捨てるほどいて。 石を投げれば、被爆二世や三世に当たるくらいで。 私は、うんざりするくらい元気に、毎日を過ごしています。夏バテなんて全然しない。 ただ、大学生の頃、どうしてそんな話になったのか、 何気なく自分が被爆三世だと口にした時、 ほんの一瞬、それは、気付くか気付かないかくらいのわずかな時間だったけれど、 会話が止まってしまったことを覚えてます。 そこにいたのは、広島以外の出身の友人達ばかりで、 ああ、原爆っていうのは、いまでも広島に落ち続けているんだなあ、とぼんやりと思ったっけ。 今日も、広島は、暑いんだろうなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[語りもの] カテゴリの最新記事
|